潮気立つ荒磯にはあれど行く水の
過ぎにし妹が形見とぞ来し
- 歌の意味
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潮の香の立つ荒々しい磯ではあるけれども、流れ去る水のように亡くなってしまった妻の形見として、ここへやって来たのだ。
- 鑑賞
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巻第九 挽歌 1797
詞書は前の歌に続き「紀伊国にして作る歌四首」
潮の香が立つ荒々しい磯ではあるが、亡き妻の形見と思ってやって来たと詠む歌である。景色の美しさではなく、妻との思い出のゆえに訪れた心を表している。
紀伊国で亡き妻をしのぶ歌四首の二首目である。
作者の柿本人麻呂は持統朝から文武朝にかけて活躍した宮廷歌人である。本歌は柿本人麻呂歌集から採られたもので、この歌集には人麻呂自身の作と、人麻呂が集めた他の人の作とが含まれると考えられている。
初句「潮気立つ」は、潮の香りやしぶきが立ち上る、の意である。
二句「荒磯にはあれど」は、荒々しい磯ではあるけれども、の意である。
三句「行く水の」は、流れ去る水のように、の意で、「過ぐ」にかかる枕詞である。
四句「過ぎにし妹が」は、亡くなってしまった妻の、の意である。前歌の二句「過ぎにし子らと」と同じ「過ぎにし」の語を用い、前歌の「黄葉の」に対して本歌は「行く水の」を枕詞としている。
結句「形見とぞ来し」は、形見としてやって来たのだ、の意である。係助詞「ぞ」を受けて、過去の「き」の連体形「し」で結ぶ係り結びとなる。
ありそ:荒々しい磯
かたみ:亡き人をしのぶよすがとなるもの
- 作者
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柿本人麻呂
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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黄葉の過ぎにし子らと携はり 遊びし磯を見れば悲しも
- 次の歌
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いにしへに妹と我が見しぬばたまの 黒牛潟を見れば寂しも