- 歌の意味
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昔、信太壮士が妻にと求めた菟原娘子の墓は、これなのだ。
- 鑑賞
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巻第九 挽歌 1802
詞書は前の歌に続き「葦屋の処女の墓を過ぐる時に作る歌一首 并せて短歌」の反歌
昔、信太壮士が求婚した菟原娘子の墓はこれなのだと、伝説の娘の墓を前にした感慨を詠む歌である。語り伝えられてきた物語の舞台を実際に目にする驚きが表れている。
本巻の第千八百一首の長歌に添えられた反歌である。長歌は、昔ますらおたちが競って求婚した葦屋の菟原娘子の墓を見ると、後の世まで語り伝え、しのぶよすがにしようと道のほとりに造られたその墓に、道行く人々が立ち寄っては嘆き、泣いて語り継いできたことを思い、自分も悲しくなる、と詠んでいる。菟原処女の伝説は、摂津国菟原郡(現在の兵庫県芦屋市、神戸市東部付近)の娘子が、茅渟壮士と菟原壮士の二人の男に求婚されて悩み、命を絶ったというもので、娘子の墓を中に、二人の男の墓がその両側に造られたと伝えられる。信太壮士は、和泉国信太(現在の大阪府和泉市付近)の男で、茅渟壮士と同じ人物を指す。
作者の田辺福麻呂は奈良時代中期の歌人で、橘諸兄に仕えた造酒司の令史であった。本歌は田辺福麻呂歌集から採られたもので、福麻呂自身の作とする見方が有力である。
初句「古への」は、昔の、の意である。
二句「信太壮士の」は、和泉国信太の男の、の意で、菟原娘子に求婚した二人の男の一人を指す。
三句「妻問ひし」は、妻にと求婚した、の意である。
四句「菟原娘子の」は、伝説の娘の名を示す。
結句「奥城ぞこれ」は、墓はこれなのだ、の意である。係助詞「ぞ」を用い、名詞「これ」で結ぶ倒置の形となっている。本巻の第千八百十首の三句「奥城を」と同じく、菟原娘子の墓を詠む。
つまどふ:妻にしようと求婚する
おくつき:墓
- 作者
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田辺福麻呂(福麻呂歌集所出)
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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玉津島磯の浦廻の真砂にも にほひて行かな妹も触れけむ
- 次の歌
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語り継ぐからにもここだ恋しきを 直目に見けむ古へ壮士