別れてもまたも逢ふべく思ほえば
心乱れて我れ恋ひめやも
- 歌の意味
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別れても、また逢えると思えるのなら、心乱れてこれほど恋い慕うだろうか。
- 鑑賞
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巻第九 挽歌 1805
詞書は前の歌に続き「弟の死去を哀しびて作る歌一首 并せて短歌」の反歌
別れてもまた逢えると思えるなら、これほど心乱れて恋い慕いはしないと、二度と逢えない死別の悲しみを詠む歌である。生別とは異なる死別の絶望を、反語によって強く表している。
本巻の第千八百四首の長歌に添えられた反歌である。長歌は、父母が生み育てたままに育った弟は、露のように消えやすい命で、神の定めに逆らえず、黄泉の国へ別れて行ってしまったので、闇夜のように思い惑い、泣き続けて夜も昼もわからず、心が燃えるように嘆く、と詠んでいる。なお本文には、四句を「心尽して」とする異伝が注記されている。
作者の田辺福麻呂は奈良時代中期の歌人で、橘諸兄に仕えた造酒司の令史であった。本歌は田辺福麻呂歌集から採られたもので、福麻呂自身の作とする見方が有力である。
初句「別れても」は、別れても、の意である。
二句「またも逢ふべく」は、再び逢えるように、の意である。
三句「思ほえば」は、思われるならば、の意で、事実に反する仮定を表す。
四句「心乱れて」は、心が乱れて、の意で、長歌の「葦垣の思ひ乱れて」を受ける。異伝では「心尽して」とする。
結句「我れ恋ひめやも」は、私はこれほど恋い慕うだろうか、いや慕いはしない、の意の反語である。「め」は推量の「む」の已然形、「やも」は反語を表す。
こふ:離れている人を慕い求める
- 作者
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田辺福麻呂(福麻呂歌集所出)
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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語り継ぐからにもここだ恋しきを 直目に見けむ古へ壮士
- 次の歌
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あしひきの荒山中に送り置きて 帰らふ見れば心苦しも