芦屋の菟原娘子の奥城を
行き来と見れば哭のみし泣かゆ
- 歌の意味
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芦屋の菟原娘子の墓を、行きにも帰りにも見ると、ただ声をあげて泣けてくる。
- 鑑賞
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巻第九 挽歌 1810
詞書は前の歌に続き「菟原処女が墓を見る歌一首 并せて短歌」の反歌
芦屋の菟原娘子の墓を行き帰りに見るたびに、ただ声をあげて泣けてくると詠む歌である。伝説の娘の悲しい運命に、深く心を動かされている。
本巻の第千八百九首の長歌に添えられた反歌である。長歌は、菟原娘子に茅渟壮士と菟原壮士が求婚して争い、娘子は自分のために男たちが争うのを悲しんで黄泉で待とうと命を絶ち、二人の男もその後を追ったので、親族が娘子の墓を中に、男たちの墓をその両側に造ったという話を聞き、知らない人ながら新しい喪のように泣いた、と詠んでいる。菟原処女の伝説は、摂津国菟原郡(現在の兵庫県芦屋市、神戸市東部付近)の娘子が、茅渟壮士と菟原壮士の二人の男に求婚されて悩み、命を絶ったというもので、娘子の墓を中に、二人の男の墓がその両側に造られたと伝えられる。
作者の高橋虫麻呂は奈良時代前期の歌人で、藤原宇合が常陸守であった頃にその下僚として仕えたと考えられている。各地の伝説や東国の風土を題材とした長歌に優れる。本歌は高橋虫麻呂歌集から採られたもので、虫麻呂自身の作を中心とすると考えられている。
初句「芦屋の」は、摂津国の地名を示す。
二句「菟原娘子の」は、伝説の娘の名を示す。
三句「奥城を」は、墓を、の意である。本巻の第千八百二首の結句「奥城ぞこれ」と同じく、菟原娘子の墓を詠む。同じ伝説を田辺福麻呂歌集と高橋虫麻呂歌集の歌が共に詠み、本巻の挽歌の中で呼応している。
四句「行き来と見れば」は、行きにも帰りにも見ると、の意である。
結句「哭のみし泣かゆ」は、ただ声をあげて泣けてくる、の意である。「哭」は声をあげて泣くこと、「ゆ」は自然にそうなることを表す。
おくつき:墓
ね:声をあげて泣くこと
- 作者
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高橋虫麻呂(虫麻呂歌集所出)
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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勝鹿の真間の井見れば立ち平し 水汲ましけむ手児名し思ほゆ
- 次の歌
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墓の上の木の枝靡けり聞きしごと 茅渟壮士にし寄りにけらしも