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巻向の桧原に立てる春霞
おほにし思はばなづみ来めやも

歌の意味
巻向の檜の林に立ちこめている春霞よ。おざなりに思っているのなら、こうして難儀しながらやって来ることなどあろうか。
鑑賞
巻第十 春雑歌 1813

詞書は前の歌に続き「春雑歌」
 巻向の檜原に立つ春霞を前にして、ここまで苦労して来たのは並の思いからではないと言い切る歌である。上の句の春霞は景であると同時に、ぼんやりとした状態を表す「おほに」を導く働きもしており、景色と心情が一つにつながっている。春の叙景歌の中に強い思い入れが込められた一首で、その思いの対象を巻向の地そのものとも、そこに住む人とも読むことができる。
 作者の柿本人麻呂は飛鳥時代、持統朝から文武朝にかけて活躍した宮廷歌人である。この歌は左注によって「柿本人麻呂歌集」に出ると記される歌で、人麻呂自身の作か、人麻呂が書き留めた他人の歌かは定かでない。

 初句「巻向の」は大和の巻向(現在の奈良県桜井市)の地名である。三輪山の北に連なる地で、人麻呂歌集にしばしば詠まれる土地である。
 二句「桧原に立てる」は檜の林に霞が立っている様子である。「る」は存続の助動詞「り」の連体形で、霞が立ち続けている状態を示す。
 三句「春霞」は体言で上の句を受け止める。春霞のぼんやりとした様子が、次の「おほに」を導く序の働きをしている。
 四句「おほにし思はば」の「おほに」は通り一遍に、いいかげんにの意で、「し」は強意の副助詞である。「ば」は仮定を表し、並の思いであったならばという条件を示す。
 結句「なづみ来めやも」の「なづむ」は行き悩む、難儀する意で、「めやも」は反語である。難儀してまで来ることはないはずだと反語で強め、思いの深さを裏から言い表している。

ひはら:檜の生い茂った林
なづむ:行き悩む。難儀しながら進む
作者
柿本人麻呂
出典
万葉集
前の歌
ひさかたの天の香具山この夕 霞たなびく春立つらしも
次の歌
いにしへの人の植ゑけむ杉が枝に 霞たなびく春は来ぬらし