古典和歌stream

ももしきの大宮人のかづらける
しだり柳は見れど飽かぬかも

歌の意味
大宮人たちが髪飾りにしているしだれ柳は、いくら見ても見飽きることがない。
鑑賞
巻第十 春雑歌 1852

詞書は前の歌に続き「柳を詠む」
 宮廷の人々が髪飾りにしているしだれ柳の美しさをたたえた歌である。「見れど飽かぬかも」は万葉集で讃美の心を表す定型的な結句で、宮廷の華やかな春の風俗を賞でている。本巻の第千八百四十六首で「見る人のかづらにすべく」と願われた柳が、この歌では実際に大宮人のかづらとなっており、一連の中で柳の成長と人々の営みが呼応している。

 初句「ももしきの」は「大宮」にかかる枕詞である。多くの石で築いた宮の意とされる。
 二句「大宮人の」は宮廷に仕える人々のの意である。都の華やかな人々を示す。
 三句「かづらける」は髪飾りにしているの意で、「かづら」を動詞化した語に存続の「り」が付いた形である。第千八百四十六首の「かづらにすべく」と呼応する。
 四句「しだり柳は」は枝の垂れ下がった柳はの意である。優美な柳の姿を示す。
 結句「見れど飽かぬかも」は見ても見飽きないことよの意で、讃美の定型句である。宮廷の春の美しさをたたえて結ぶ。

ももしき:「ももしきの」で「大宮」にかかる枕詞となる
おほみやびと:宮廷に仕える人
かづらく:草木の枝などを髪飾りにする
出典
万葉集
前の歌
青柳の糸のくはしさ春風に 乱れぬい間に見せむ子もがも
次の歌
梅の花取り持ち見れば我が宿の 柳の眉し思ほゆるかも