年のはに梅は咲けどもうつせみの
世の人我れし春なかりけり
- 歌の意味
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毎年梅は咲くけれども、この世に生きる人である私には、春というものがなかったのだ。
- 鑑賞
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巻第十 春雑歌 1857
詞書は前の歌に続き「花を詠む」
毎年欠かさず咲く梅と、春を迎えることのない自分の身とを対比し、人生の不遇を嘆いた歌である。「春なかりけり」の「春」は季節の春と、人生の栄えや幸せの時とを重ねた表現で、自然の変わらぬ循環に対する人の世のはかなさが浮かび上がる。花を詠む一連の中にあって、花の美しさから人生の述懐へと転じた一首であり、後の第千八百八十四首の「年月は新たなれども人は古りゆく」にも通じる思いがうかがえる。
初句「年のはに」は毎年、年ごとにの意である。自然の変わらぬ営みを示している。
二句「梅は咲けども」の「ども」は逆接の接続助詞で、梅と自分とを対比する転換点となる。
三句「うつせみの」は「世」にかかる枕詞である。この世に生きている身の意をもつ。
四句「世の人我れし」は、この世の人である私はの意で、「し」は強意の副助詞である。字余りの句で、自分自身を強く取り立てている。
結句「春なかりけり」の「けり」は気づきの詠嘆である。季節の春と人生の春とを重ねて、自分には春がなかったと嘆いて結ぶ。
としのは:毎年。年ごと
うつせみ:この世に生きている人。「うつせみの」で「世」「命」などにかかる枕詞となる
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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我がかざす柳の糸を吹き乱る 風にか妹が梅の散るらむ
- 次の歌
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うつたへに鳥は食まねど縄延へて 守らまく欲しき梅の花かも