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ももしきの大宮人は暇あれや
梅をかざしてここに集へる

歌の意味
大宮人たちは暇があるからだろうか、梅の花を髪に挿して、ここに集まっている。
鑑賞
巻第十 春雑歌 1883

詞書は前の歌に続き「野遊」
 梅の花を髪に挿して野に集う大宮人たちの姿を詠み、野遊びの一連を締めくくる歌である。暇があるのだろうかという問いかけには、宮廷の人々の優雅な春の行楽を眺める作者の、ややからかうような視線も感じられる。本巻の第千八百五十二首の柳をかづらにする大宮人と同じく、宮廷の春の風俗を描いた歌である。

 初句「ももしきの」は「大宮」にかかる枕詞である。第千八百五十二首と同じ初句である。
 二句「大宮人は」は宮廷に仕える人々はの意である。
 三句「暇あれや」の「や」は疑問の係助詞で、結句の「集へる」と係り結びをなす。暇があるからだろうかの意となる。
 四句「梅をかざして」の「かざす」は花や枝を髪に挿す意である。第千八百五十六首の「我がかざす」と同じ風俗を示す。
 結句「ここに集へる」の「る」は存続の「り」の連体形で、三句の「や」の結びである。集い楽しむ人々の姿を描いて結ぶ。

いとま:暇
かざす:草木の花や枝を髪に挿す
つどふ:集まる
出典
万葉集
前の歌
春の野に心延べむと思ふどち 来し今日の日は暮れずもあらぬか
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冬過ぎて春し来れば年月は 新たなれども人は古りゆく