- 歌の意味
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春の山の霧に迷っている鴬も、私以上に物思いをしているだろうか、いやそうではあるまい。
- 鑑賞
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巻第十 春相聞 1892
詞書は前の歌に続き「春相聞」
春の山の霧の中で迷う鴬よりも、自分の物思いのほうが深いと嘆く歌である。行き場を失った鴬の姿に、恋に惑う自分を重ねながら、それ以上に深い思いを抱えていることを反語によって強く示している。本巻の第千八百九十首と同じく「春山の」で始まり、鴬に託して恋心を詠む点が共通している。
作者の柿本人麻呂は飛鳥時代、持統朝から文武朝にかけて活躍した宮廷歌人である。この歌は左注によって「柿本人麻呂歌集」に出ると記される歌で、人麻呂自身の作か、人麻呂が書き留めた他人の歌かは定かでない。
初句「春山の」は第千八百九十首と同じ初句で、春相聞の鴬の歌を結びつけている。
二句「霧に惑へる」の「る」は存続の「り」の連体形である。霧の中で行き先を見失う鴬の姿を示す。
三句「鴬も」の「も」は同類を示し、鴬もまたの意となる。
四句「我れにまさりて」は私以上にの意である。鴬と自分の物思いを比べている。
結句「物思はめやも」の「めやも」は反語で、物思いをしようか、いやしないの意である。自分の物思いこそが深いと強く言い切って結ぶ。
まとふ:迷う。行き先を見失う
ものもふ:物思いをする
- 作者
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柿本人麻呂
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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冬こもり春咲く花を手折り持ち 千たびの限り恋ひわたるかも
- 次の歌
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出でて見る向ひの岡に本茂く 咲きたる花のならずはやまじ