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春さればまづさきくさの幸くあらば
後にも逢はむな恋ひそ我妹

歌の意味
春になるとまず咲く三枝のように、無事でさえいれば、後にもきっと逢えるだろう。そんなに恋い焦がれるな、我が妻よ。
鑑賞
巻第十 春相聞 1895

詞書は前の歌に続き「春相聞」
 別れを悲しむ妻に、無事でいればまた逢えるのだからそんなに恋い焦がれるなと慰める歌である。上の句の「さきくさ」が同音の「幸く」を導く序となり、春の花の明るさに再会への希望を託している。前歌までの恋い焦がれる歌に対し、この歌は恋しさをなだめる側から詠まれており、相聞の一連の中で思う側と慰める側とが対をなしている。
 作者の柿本人麻呂は飛鳥時代、持統朝から文武朝にかけて活躍した宮廷歌人である。この歌は左注によって「柿本人麻呂歌集」に出ると記される歌で、人麻呂自身の作か、人麻呂が書き留めた他人の歌かは定かでない。

 初句「春されば」は春になるとの意である。
 二句「まづさきくさの」の「さきくさ」は三枝とも書き、春に先んじて咲く草とされ、ミツマタなどとする説がある。同音の「幸く」を導く序となる。
 三句「幸くあらば」は無事でいればの意で、字余りの句である。「さきくさ」と「幸く」の音の重なりが調べを整えている。
 四句「後にも逢はむ」の「む」は推量、意志で、後にもきっと逢えるだろうの意である。ここで四句切れとなる。
 結句「な恋ひそ我妹」は「な…そ」で禁止を表し、恋い焦がれるなの意である。「我妹」と呼びかけて、妻をいたわる心を示して結ぶ。

さきくさ:春に先がけて咲く草とされる。ミツマタなどとする説がある
わぎも:男性が妻や恋人を親しんで呼ぶ語
作者
柿本人麻呂
出典
万葉集
前の歌
霞立つ春の長日を恋ひ暮らし 夜も更けゆくに妹も逢はぬかも
次の歌
春さればしだり柳のとををにも 妹は心に乗りにけるかも