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霍公鳥来居も鳴かぬか我がやどの
花橘の地に落ちむ見む

歌の意味
ほととぎすよ、来てとまって鳴いてくれないものか。我が家の花橘が、その声で地に落ちるのを見よう。
鑑賞
巻第十 夏雑歌 1954

詞書は前の歌に続き「鳥を詠む」
 ほととぎすに家の橘の枝に来て鳴いてほしい、その声で花橘が地に散るのを見たいと願う歌である。本巻の第千九百五十首が、ほととぎすの鳴き声で花橘が散る景を詠んだのに対し、この歌はその景を見たいと願っており、二首は現実の景と願望の景として対応している。花の散ることを惜しむのではなく、散る風情そのものを賞でようとする点に特色がある。

 初句「霍公鳥」は呼びかけの対象である。
 二句「来居も鳴かぬか」の「来居る」は来てとまる意、「ぬか」は打ち消しの疑問で願望を表す。ここで二句切れとなる。
 三句「我がやどの」は私の家のの意である。
 四句「花橘の」は花の咲いた橘のの意で、第千九百五十首と同じ語である。
 結句「地に落ちむ見む」の前の「む」は推量、後の「む」は意志で、字余りの句である。散る花を見ようという願いを示して結ぶ。

きゐる:来てとまる
やど:家。住まい
出典
万葉集
前の歌
五月山卯の花月夜霍公鳥 聞けども飽かずまた鳴かぬかも
次の歌
霍公鳥いとふ時なしあやめぐさ かづらにせむ日こゆ鳴き渡れ