- 歌の意味
- 我が家の花橘は散ってしまった。悔やまれる時においでになったあなたであることよ。
- 鑑賞
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巻第十 夏雑歌 1969
詞書は前の歌に続き「花を詠む」
家の花橘が散ってしまった後に訪ねて来た恋人を、残念な時に来たものだと迎える歌である。美しい花盛りを共に見られなかった悔しさと、それでも会えたうれしさとが入り混じっている。花の盛りを見せたかったという思いに、恋人を待ちわびていた心がうかがえる。
初句「我が宿の」は私の家のの意である。
二句「花橘は」は花の咲いた橘はの意で、主題を示す。
三句「散りにけり」の「けり」は気づきの詠嘆で、ここで三句切れとなる。
四句「悔しき時に」は残念な時にの意である。
結句「逢へる君かも」の「かも」は詠嘆である。遅れて来た恋人に、悔しさとうれしさをこめて呼びかけて結ぶ。
やど:家。住まい
- 出典
- 万葉集
- 前の歌
- 霍公鳥来鳴き響もす橘の 花散る庭を見む人や誰れ
- 次の歌
- 見わたせば向ひの野辺のなでしこの 散らまく惜しも雨な降りそね