久方の天の川原にぬえ鳥の
うら歎げましつすべなきまでに
- 歌の意味
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天の川原で、ぬえ鳥が鳴くように、心の中で嘆いておいでになった。どうしようもないほどに。
- 鑑賞
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巻第十 秋雑歌 1997
詞書は前の歌に続き「七夕」
天の川原で、ぬえ鳥の悲しげな鳴き声のように、心の中でどうしようもないほど嘆いていた様子を詠んだ歌である。逢う日を待つ間の星の嘆きを、ぬえ鳥の鳴き声にたとえて表している。「嘆げまし」と尊敬語を用いることから、彦星または織女の嘆きを第三者の立場から詠んだものと考えられる。前歌の逢瀬への期待に対し、この歌は逢えない間の嘆きを詠んでいる。
作者の柿本人麻呂は飛鳥時代、持統朝から文武朝にかけて活躍した宮廷歌人である。この歌は左注によって「柿本人麻呂歌集」に出ると記される歌で、人麻呂自身の作か、人麻呂が書き留めた他人の歌かは定かでない。
初句「久方の」は「天」にかかる枕詞である。
二句「天の川原に」は天の川の川原にの意である。
三句「ぬえ鳥の」はトラツグミのことで、夜に悲しげな声で鳴くことから「うら嘆く」を導く枕詞となっている。
四句「うら歎げましつ」の「うら」は心の意、「まし」は尊敬の助動詞「ます」、「つ」は完了である。心の中で嘆いておられたの意となる。
結句「すべなきまでに」はどうしようもないほどにの意で、倒置によって嘆きの深さを最後に示している。
ぬえどり:トラツグミの古名。夜に悲しげな声で鳴く。「うら嘆く」などにかかる枕詞となる
うらなぐ:心の中で嘆く
- 作者
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柿本人麻呂
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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天の川水さへに照る舟泊てて 舟なる人は妹と見えきや
- 次の歌
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我が恋を嬬は知れるを行く舟の 過ぎて来べしや言も告げなむ