- 歌の意味
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南淵山では、今日もまた白露が置いて、黄葉が散っているのだろうか。
- 鑑賞
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巻第十 秋雑歌 2206
詞書は前の歌に続き「黄葉を詠む」
南淵山では今日もまた白露が置いて紅葉が散っているだろうかと思いやる歌である。目の前にない遠い山の紅葉を想像し、その散るさまを惜しんでいる。春雑歌の第千八百六十七首の「阿保山の桜の花は今日もかも散り乱ふらむ」と同じく「今日もかも」の語を用い、遠い山の花や紅葉の散ることを思いやる構成をとる。
初句「まそ鏡」は鏡を「見る」ことから「南淵」の「み」にかかる枕詞である。
二句「南淵山は」は飛鳥の南方にある山である。
三句「今日もかも」の「かも」は疑問の係助詞で、結句の「らむ」と係り結びをなす。第千八百六十七首と同じ語である。
四句「白露置きて」は白露が置いての意である。
結句「黄葉散るらむ」の「らむ」は現在推量である。遠い山の今の様子を思いやって結ぶ。
まそかがみ:よく澄んだ鏡。「まそかがみ」で「見る」「清し」などにかかる枕詞となる
- 出典
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万葉集
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秋萩の下葉もみちぬあらたまの 月の経ぬれば風をいたみかも
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我がやどの浅茅色づく吉隠の 夏身の上にしぐれ降るらし