秋の野の尾花が末の生ひ靡き
心は妹に寄りにけるかも
- 歌の意味
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秋の野のすすきの穂先が生い茂ってなびくように、私の心は恋人に寄ってしまったことだ。
- 鑑賞
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巻第十 秋相聞 2242
詞書は前の歌に続き「秋相聞」
秋の野のすすきの穂先が一方になびくように、自分の心がすっかり恋人に寄ってしまったと詠んだ歌である。風になびくすすきの穂の姿に、恋人に傾いていく心の動きが重ねられている。本巻の第二千百六十七首などで景として詠まれた尾花が、相聞では心の傾きの比喩となっている。
作者の柿本人麻呂は飛鳥時代、持統朝から文武朝にかけて活躍した宮廷歌人である。この歌は左注によって「柿本人麻呂歌集」に出ると記される歌で、人麻呂自身の作か、人麻呂が書き留めた他人の歌かは定かでない。
初句「秋の野の」は字余りの句で、秋の野のの意である。
二句「尾花が末の」はすすきの穂先のの意である。
三句「生ひ靡き」は生い茂ってなびくの意で、上の句は「寄る」を導く序となっている。
四句「心は妹に」は心は恋人にの意である。
結句「寄りにけるかも」の「けり」「かも」は詠嘆である。心の傾きに気づいた感慨を示して結ぶ。
をばな:すすきの穂
うれ:梢、枝先。穂先
- 作者
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柿本人麻呂
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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秋の夜の霧立ちわたりおほほしく 夢にぞ見つる妹が姿を
- 次の歌
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秋山に霜降り覆ひ木の葉散り 年は行くとも我れ忘れめや