秋の田の穂の上に置ける白露の
消ぬべくも我は思ほゆるかも
- 歌の意味
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秋の田の稲穂の上に置いている白露のように、今にも消えてしまいそうに私は思われることだ。
- 鑑賞
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巻第十 秋相聞 2246
詞書は前の歌に続き「水田に寄す」
秋の田の稲穂に置く白露のように、恋に今にも消え入りそうな自分の心を詠んだ歌である。はかなく消えやすい白露に、恋に身も心も細る思いを重ねている。春相聞の第千九百八首の水草の上の霜が消えるように恋い続ける歌と同じく、消えやすいものに恋の思いを託している。
初句「秋の田の」は字余りの句で、秋の田のの意である。
二句「穂の上に置ける」は稲穂の上に置いているの意で、字余りの句である。
三句「白露の」は白露のようにの意で、上の句は「消」を導く序となっている。
四句「消ぬべくも我は」の「消」は消える意、「ぬべく」はきっと…しそうなの意である。
結句「思ほゆるかも」の「思ほゆ」は自然に思われる意、「かも」は詠嘆である。
く:消える
しらつゆ:白く光る露
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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太刀の後玉纒田居にいつまでか 妹を相見ず家恋ひ居らむ
- 次の歌
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秋の田の穂向きの寄れる片寄りに 我れは物思ふつれなきものを