九月のしぐれの雨の山霧の
いぶせき我が胸誰を見ばやまむ
- 歌の意味
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九月のしぐれの雨に立つ山霧のように、晴れない私の胸は、誰に逢えば晴れるのだろうか。
- 鑑賞
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巻第十 秋相聞 2263
詞書は前の歌に続き「雨に寄す」
九月のしぐれに立ちこめる山霧のように晴れない胸の内を、誰に逢えば晴れるのだろうかと嘆く歌である。上の句の山霧の重苦しさが「いぶせき」を導き、恋に沈む心の晴れなさが印象づけられている。訓読には上の句に「一云 十月しぐれの雨降り」の異伝が添えられている。本巻の第二千二百四十一首の霧からおぼろな夢を導いた歌と同じく、霧を心の比喩としている。
初句「九月の」は陰暦九月のの意である。
二句「しぐれの雨の」はしぐれの雨のの意である。
三句「山霧の」は山霧のようにの意で、上の句は「いぶせき」を導く序となっている。
四句「いぶせき我が胸」の「いぶせし」は心が晴れない、うっとうしい意で、字余りの句である。
結句「誰を見ばやまむ」は誰に逢えば晴れるのだろうかの意で、恋しい人への思いを示して結ぶ。
やむ:やむ。心の憂いが晴れる
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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秋萩を散らす長雨の降るころは ひとり起き居て恋ふる夜ぞ多き
- 次の歌
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こほろぎの待ち喜ぶる秋の夜を 寝る験なし枕と我れは