来て見べき人もあらなくに我家なる
梅の初花散りぬともよし
- 歌の意味
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来て見てくれるはずの人もいないのだから、我が家の梅の初花は散ってしまってもかまわない。
- 鑑賞
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巻第十 冬雑歌 2328
詞書は前の歌に続き「花を詠む」
来て見てくれる人もいないのだから、家の梅の初花が散ってしまってもかまわないと、投げやりに詠んだ歌である。美しい初花も見せる相手がいなければ意味がないという寂しさが、かえって強く表れている。春相聞の第千九百六首の、奈良の人が見に来るまで梅を散らすまいという歌とは反対の心で、見る人のいない寂しさを詠んでいる。
初句「来て見べき」は来て見るはずのの意である。
二句「人もあらなくに」の「なくに」は打ち消しのク語法に「に」の付いた形で、人もいないのだからの意となる。
三句「我家なる」は私の家にあるの意である。
四句「梅の初花」はその年初めて咲いた梅の花の意である。
結句「散りぬともよし」の「とも」は逆接の仮定で、散ってしまってもかまわないの意である。
わぎへ:私の家
はつはな:その年初めて咲いた花
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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誰が園の梅にかありけむここだくも 咲きてあるかも見が欲しまでに
- 次の歌
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雪寒み咲きには咲かぬ梅の花 よしこのころはかくてもあるがね