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はしきやし誰が障ふれかも玉桙の
道見忘れて君が来まさぬ

歌の意味
ああいとしい。誰が邪魔をしているからだろうか、道を見忘れて、あなたがおいでにならないのは。
鑑賞
巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2380

詞書は前の歌に続き「正に心緒を述ぶ」
 恋しい人が訪れて来ないのは、誰かが邪魔をしているからか、それとも道を忘れてしまったからか、と思いめぐらす歌である。相手の心変わりを疑うのではなく、来られない事情を探ろうとするところに、相手を信じたい気持ちが表れている。
 詞書は前の歌に続き「正に心緒を述ぶ」である。「はしきやし」は本巻の第二千三百六十九首に、「玉桙の道」は第二千三百七十首に、「来まさぬ君」は第二千三百七十八首にも見え、この一群の語句が重なり合っている。訪れない恋人を待つ歌が続く中で、本歌はその理由を問う形をとっている。
 作者は未詳であり、左注によれば柿本人麻呂歌集に出る歌である。人麻呂歌集には人麻呂自身の作と、人麻呂が書き留めた他の人々の歌とが含まれるとされる。柿本人麻呂は持統朝から文武朝にかけて活躍した宮廷歌人で、三十六歌仙の一人である。

 初句「はしきやし」は、ああいとしい、の意の感動の語である。結句の「君」に対する愛情を冒頭に置いている。
 二句「誰が障ふれかも」は、誰が邪魔をしているからか、の意である。「障ふれ」は、さえぎる意の動詞「障ふ」の已然形で、係助詞「かも」が付いて原因を推し量る疑問を表している。
 三句「玉桙の」は「道」にかかる枕詞である。
 四句「道見忘れて」は、道を見忘れて、の意である。通い慣れた道を忘れてしまったのか、と冗談めかした推測を述べている。
 結句「君が来まさぬ」は、あなたがおいでにならないのは、の意である。二句の係助詞「かも」を受けて、打消の助動詞「ず」の連体形「ぬ」で結ぶ係り結びである。

さふ:さえぎる、邪魔をする
たまほこ:「たまほこの」の形で「道」にかかる枕詞
作者
柿本人麻呂歌集
出典
万葉集
前の歌
見わたせば近き渡りをた廻り 今か来ますと恋ひつつぞ居る
次の歌
君が目を見まく欲りしてこの二夜 千年のごとも我は恋ふるかも