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我が背子は幸くいますと帰り来と
我れに告げ来む人も来ぬかも

歌の意味
私の夫は無事でいらっしゃると、もう帰って来ると、私に告げに来る人も来ないものか。
鑑賞
巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2384

詞書は前の歌に続き「正に心緒を述ぶ」
 遠く離れている夫について、無事でいる、帰って来る、と知らせに来てくれる人でもいないものか、と願う女性の歌である。夫の安否を気づかう心と、帰りを待ちわびる心とが、知らせをもたらす人を待つ形で表されている。
 詞書は前の歌に続き「正に心緒を述ぶ」である。本巻の第二千三百七十首では道行く人が言伝てを告げてくれないことが嘆かれており、本歌も便りをもたらす人を待つという同じ主題を、旅にある夫を待つ妻の立場から詠んでいる。
 作者は未詳であり、左注によれば柿本人麻呂歌集に出る歌である。人麻呂歌集には人麻呂自身の作と、人麻呂が書き留めた他の人々の歌とが含まれるとされる。柿本人麻呂は持統朝から文武朝にかけて活躍した宮廷歌人で、三十六歌仙の一人である。

 初句「我が背子は」の「背子」は、女性が夫や恋人を親しんで呼ぶ語である。作者が女性であることを示している。
 二句「幸くいますと」は、無事でいらっしゃると、の意である。「幸く」は無事に、つつがなく、の意で、「います」は「あり」の尊敬語である。
 三句「帰り来と」は、帰って来ると、の意である。二句の「と」と重ねて、知らせてほしい内容を二つ並べている。
 四句「我れに告げ来む」は、私に告げに来るような、の意である。助動詞「む」は婉曲を表し、結句の「人」にかかっている。
 結句「人も来ぬかも」は、人も来ないものか、の意である。打消の助動詞「ず」の連体形に終助詞「かも」が付いた「ぬかも」は、…してくれないかなあ、という願望を表す。

せこ:女性が夫や恋人を親しんで呼ぶ語
います:「あり」「居り」の尊敬語、いらっしゃる
作者
柿本人麻呂歌集
出典
万葉集
前の歌
世の中は常かくのみと思へども はたた忘れずなほ恋ひにけり
次の歌
あらたまの五年経れど我が恋の 跡なき恋のやまなくあやし