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あらたまの五年経れど我が恋の
跡なき恋のやまなくあやし

歌の意味
五年が経つけれども、私の恋の、何の跡形も残さない恋が、やまないのは不思議なことだ。
鑑賞
巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2385

詞書は前の歌に続き「正に心緒を述ぶ」
 五年もの年月が経ったのに、何の実りもなく跡形も残さない恋が、なおもやまないのは不思議だ、と詠んだ歌である。報われない恋がいつまでも続くことを、自分でも不思議に思うという形で、恋の思いの根強さを表している。
 詞書は前の歌に続き「正に心緒を述ぶ」である。本巻の第二千三百八十一首が二晩を千年のように感じると詠んだのに対し、本歌は五年という実際の年月を挙げて恋の長さを述べており、恋の時間を別の尺度で捉えている。
 作者は未詳であり、左注によれば柿本人麻呂歌集に出る歌である。人麻呂歌集には人麻呂自身の作と、人麻呂が書き留めた他の人々の歌とが含まれるとされる。柿本人麻呂は持統朝から文武朝にかけて活躍した宮廷歌人で、三十六歌仙の一人である。

 初句「あらたまの」は「年」にかかる枕詞で、ここでは二句の「五年」の「年」にかかっている。
 二句「五年経れど」は、五年が経つけれども、の意である。「経れ」は動詞「経」の已然形で、逆接の接続助詞「ど」が付いている。
 三句「我が恋の」は、私の恋の、の意である。四句でも「恋の」を繰り返しており、同じ語を重ねて恋への思いの深さを表している。
 四句「跡なき恋の」は、跡形もない恋が、の意である。「跡なき」は、何の痕跡も成果も残さないことで、実を結ばない恋であることを示している。
 結句「やまなくあやし」は、やまないのは不思議だ、の意である。「やまなく」は打消の助動詞「ず」のク語法で、やまないこと、の意となり、「あやし」で言い切っている。

あらたま:「あらたまの」の形で「年」「月」などにかかる枕詞
あと:痕跡、ここでは恋の実りや成果
作者
柿本人麻呂歌集
出典
万葉集
前の歌
我が背子は幸くいますと帰り来と 我れに告げ来む人も来ぬかも
次の歌
巌すら行き通るべきますらをも 恋といふことは後悔いにけり