日並べば人知りぬべし今日の日は
千年のごともありこせぬかも
- 歌の意味
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日を重ねて逢えば、人が知ってしまうに違いない。今日のこの一日は、千年のように長くあってくれないものか。
- 鑑賞
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巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2387
詞書は前の歌に続き「正に心緒を述ぶ」
幾日も続けて逢えば人に知られてしまうから、せめて今日の一日が千年のように長く続いてほしい、と願う歌である。人目をはばかる恋であるがゆえに、逢えた一日を限りなく惜しむ気持ちが表れている。
詞書は前の歌に続き「正に心緒を述ぶ」である。「千年のごとも」の句は本巻の第二千三百八十一首にも用いられている。第二千三百八十一首では逢えない二晩が千年のように長いと嘆いたのに対し、本歌では逢えた一日が千年のように長くあってほしいと願っており、同じ句で反転した心情を詠んでいる。
作者は未詳であり、左注によれば柿本人麻呂歌集に出る歌である。人麻呂歌集には人麻呂自身の作と、人麻呂が書き留めた他の人々の歌とが含まれるとされる。柿本人麻呂は持統朝から文武朝にかけて活躍した宮廷歌人で、三十六歌仙の一人である。
初句「日並べば」は、日を重ねて逢うならば、の意である。「並べ」は動詞「並ぶ」の已然形で、接続助詞「ば」が付き、日を重ねると必ずそうなる、という条件を表している。
二句「人知りぬべし」は、人が知ってしまうに違いない、の意である。完了の助動詞「ぬ」の終止形に推量の助動詞「べし」が付いて確信を表し、ここで句切れとなる二句切れの歌である。
三句「今日の日は」は、今日という日は、の意である。係助詞「は」によって、逢えた今日の一日を取り立てている。
四句「千年のごとも」は、千年のようにも、の意である。わずか一日を千年に引き延ばしたいという誇張の表現である。
結句「ありこせぬかも」は、あってくれないものか、の意である。「こせ」は他に望む意の助動詞「こす」の未然形で、「ぬかも」と合わせて強い願望を表している。
ならぶ:並べ連ねる、ここでは日を重ねる意
- 作者
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柿本人麻呂歌集
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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巌すら行き通るべきますらをも 恋といふことは後悔いにけり
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立ちて居てたづきも知らず思へども 妹に告げねば間使も来ず