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恋するに死するものにあらませば
我が身は千たび死にかへらまし

歌の意味
恋をすることで死ぬものであったならば、私の身は千度も死を繰り返していることだろう。
鑑賞
巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2390

詞書は前の歌に続き「正に心緒を述ぶ」
 恋のために人が死ぬものならば、自分は千度も死んでいるだろうと、恋の苦しさの激しさを誇張して訴えた歌である。実際には死なずに苦しみ続けているという思いが、反実仮想によって裏から言い表されている。
 本巻の第二千三百八十六首が、ますらをも恋には悔いると嘆いたのに続き、恋の苦しみの大きさを死という極端な尺度で表している。巻第四の第六百三首に笠女郎の「思ふにし死にするものにあらませば千たびぞ我れは死に返らまし」があり、発想と表現がよく似た類歌として知られる。
 作者は未詳であり、左注によれば柿本人麻呂歌集に出る歌である。人麻呂歌集には人麻呂自身の作と、人麻呂が書き留めた他の人々の歌とが含まれるとされる。柿本人麻呂は持統朝から文武朝にかけて活躍した宮廷歌人で、三十六歌仙の一人である。

 初句「恋するに」は、恋をすることによって、の意である。助詞「に」は原因を示し、恋そのものが死の原因となりうることを仮に言い立てている。
 二句「死するものに」は、死ぬもので、の意である。恋で人が死ぬという仮定を、一般的な道理のように据えている。
 三句「あらませば」は、もしあったならば、の意である。反実仮想の助動詞「まし」の未然形「ませ」に「ば」が付いた形で、結句の「まし」と呼応する。
 四句「我が身は千たび」は、私の身は千度も、の意である。「千たび」は数の多さを表す誇張で、恋の苦しみが絶え間なく続くことを示している。
 結句「死にかへらまし」は、死を繰り返していることだろう、の意である。三句の「ませば」を受けて反実仮想の「まし」で結び、実際には死ねずに苦しむ現実を浮かび上がらせている。

しにかへる:死んでは生き返ることを繰り返す、何度も死ぬ
作者
柿本人麻呂歌集
出典
万葉集
前の歌
ぬばたまのこの夜な明けそ赤らひく 朝行く君を待たば苦しも
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玉かぎる昨日の夕見しものを 今日の朝に恋ふべきものか