玉桙の道行かずあらばねもころの
かかる恋には逢はざらましを
- 歌の意味
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道を行かなかったならば、心を尽くすこのような恋には出会わなかっただろうに。
- 鑑賞
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巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2393
詞書は前の歌に続き「正に心緒を述ぶ」
あの道を通らなかったならば、これほど心を尽くす恋に出会うこともなかったのにと、道で出会った相手への恋の始まりを振り返った歌である。出会いを悔やむ形をとりながら、それほどまでに深くなった恋心を言い表している。
前歌の「なかなかに見ずあらましを」と同じく、反実仮想によって恋に出会わなかった場合を思い描いており、二首は発想を同じくして並べられている。道で人を見初めることは、次歌の「ほのかに見えて去にし子」や、本巻の第二千三百九十六首の「たまさかに我が見し人」にも通じる趣である。
作者は未詳であり、左注によれば柿本人麻呂歌集に出る歌である。人麻呂歌集には人麻呂自身の作と、人麻呂が書き留めた他の人々の歌とが含まれるとされる。柿本人麻呂は持統朝から文武朝にかけて活躍した宮廷歌人で、三十六歌仙の一人である。
初句「玉桙の」は「道」にかかる枕詞である。玉桙は美しい鉾の意とされ、道の辻に立てた鉾にちなむとも言われる。
二句「道行かずあらば」は、道を行かなかったならば、の意である。「ずあらば」は打消に仮定の「ば」が付いた形で、結句の「まし」と呼応して反実仮想を作っている。
三句「ねもころの」は、心をこめた、ねんごろな、の意である。恋の思いが細やかで深いことを表している。
四句「かかる恋には」は、このような恋には、の意である。係助詞「は」によって、今の恋を他と区別して取り立てている。
結句「逢はざらましを」は、出会わなかっただろうに、の意である。反実仮想の「まし」に逆接の「を」が付き、いまさらどうにもならない思いを余韻として残して結んでいる。
たまほこ:美しい鉾の意とされる。「玉桙の」の形で「道」「里」にかかる枕詞となる
- 作者
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柿本人麻呂歌集
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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なかなかに見ずあらましを相見てゆ 恋ほしき心まして思ほゆ
- 次の歌
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朝影に我が身はなりぬ玉かきる ほのかに見えて去にし子ゆゑに