朝影に我が身はなりぬ玉かきる
ほのかに見えて去にし子ゆゑに
- 歌の意味
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朝の影のように私の身はやせ細ってしまった。ほのかに姿を見せただけで去って行ったあの子のために。
- 鑑賞
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巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2394
詞書は前の歌に続き「正に心緒を述ぶ」
ほんの一瞬ほのかに姿を見せただけで去って行った人を恋い慕い、朝日に映る細長い影のようにやせ衰えてしまったと嘆いた歌である。わずかに見ただけの相手への恋が、身を細らせるほどの思いとなったことを訴えている。
「朝影に我が身はなりぬ」の句は、本巻の第二千六百十九首と第二千六百六十四首にも見え、恋にやつれた身を表す言い回しとして好んで用いられた。本歌の「玉かきる」は本巻の第二千三百九十一首の「玉かぎる」と同じ枕詞で、ここでは「ほのか」を導いている。次歌も「妹ゆゑ」と、本歌の「子ゆゑに」と同じく恋の相手のために苦しむ形で結んでいる。
作者は未詳であり、左注によれば柿本人麻呂歌集に出る歌である。人麻呂歌集には人麻呂自身の作と、人麻呂が書き留めた他の人々の歌とが含まれるとされる。柿本人麻呂は持統朝から文武朝にかけて活躍した宮廷歌人で、三十六歌仙の一人である。
初句「朝影に」は、朝の影のように、の意である。朝日に映る影は細長く淡いことから、恋にやつれた細い身の喩えとなる。
二句「我が身はなりぬ」は、私の身はなってしまった、の意である。完了の助動詞「ぬ」で言い切り、ここで二句切れとなる。三句以下の理由を後に置く倒置の形である。
三句「玉かきる」は「ほのか」にかかる枕詞である。玉がほのかに光る意とされ、「玉かぎる」と同じ語である。
四句「ほのかに見えて」は、ほんのかすかに姿が見えて、の意である。相手を見たのが一瞬のことであったことを表している。
結句「去にし子ゆゑに」は、去って行ってしまったあの子のために、の意である。「ゆゑに」は原因を示し、倒置によって二句の嘆きの理由を後から明かして結んでいる。
あさかげ:朝日に映る細長い影。恋にやつれた細い姿の喩えとする
いぬ:行ってしまう、去る
こ:親しみをこめて女性を呼ぶ語
- 作者
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柿本人麻呂歌集
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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玉桙の道行かずあらばねもころの かかる恋には逢はざらましを
- 次の歌
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行き行きて逢はぬ妹ゆゑひさかたの 天露霜に濡れにけるかも