行き行きて逢はぬ妹ゆゑひさかたの
天露霜に濡れにけるかも
- 歌の意味
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行っても行っても逢えない妹のために、天から降る露や霜に濡れてしまったことだ。
- 鑑賞
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巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2395
詞書は前の歌に続き「正に心緒を述ぶ」
何度通って行っても逢えない恋人のために、夜道で天から降る露や霜にすっかり濡れてしまったと詠んだ歌である。報われない通い路の辛さを、身を濡らす冷たい露霜によって具体的に示している。
前歌の「去にし子ゆゑに」に続き、本歌も「逢はぬ妹ゆゑ」と、思う相手のために身に受ける苦しみを詠んでいる。前歌がやつれた身を朝影に喩えたのに対し、本歌は露霜に濡れる身を描いており、恋の苦しみを身の上の姿で表す点が共通している。
作者は未詳であり、左注によれば柿本人麻呂歌集に出る歌である。人麻呂歌集には人麻呂自身の作と、人麻呂が書き留めた他の人々の歌とが含まれるとされる。柿本人麻呂は持統朝から文武朝にかけて活躍した宮廷歌人で、三十六歌仙の一人である。
初句「行き行きて」は、行きに行って、何度も通って、の意である。動詞を重ねることで、繰り返し足を運ぶ様子を表している。
二句「逢はぬ妹ゆゑ」は、逢ってくれない妹のために、の意である。「ゆゑ」は原因を示し、前歌の「子ゆゑに」と同じく恋の相手のために苦しむことをいう。
三句「ひさかたの」は「天」にかかる枕詞である。天を言い起こし、露霜が空から降りてくることを思わせる。
四句「天露霜に」は、天から降る露や霜に、の意である。夜の冷たさと、その中を行き来する身の辛さを感じさせる。
結句「濡れにけるかも」は、濡れてしまったことだ、の意である。完了の「に」と過去の「ける」に詠嘆の「かも」が付き、思いを遂げられないまま濡れた身への嘆きをこめて結んでいる。
いも:男性が恋人や妻を親しんで呼ぶ語
あまつゆしも:天から降りる露や霜
- 作者
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柿本人麻呂歌集
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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朝影に我が身はなりぬ玉かきる ほのかに見えて去にし子ゆゑに
- 次の歌
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たまさかに我が見し人をいかならむ よしをもちてかまた一目見む