いで何かここだはなはだ利心の
失するまで思ふ恋ゆゑにこそ
- 歌の意味
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さて、何のためにこれほどはなはだしく、しっかりした心が失われるまで思うのか。恋のためにこそである。
- 鑑賞
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巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2400
詞書は前の歌に続き「正に心緒を述ぶ」
自分はなぜこれほどまでに正気を失うほど思い悩むのかと自らに問い、それは恋のためだと答える、自問自答の形の歌である。理性を失うほどの恋の激しさを、問いと答えによって印象深く言い表している。
「ここだはなはだ」と程度を表す語を重ね、心が乱れるさまを強く押し出している。前歌が心変わりしていないと訴えたのに続き、本歌は心を失うほどの恋の深さを自ら認める形で、恋の思いの強さを示す歌が並んでいる。
作者は未詳であり、左注によれば柿本人麻呂歌集に出る歌である。人麻呂歌集には人麻呂自身の作と、人麻呂が書き留めた他の人々の歌とが含まれるとされる。柿本人麻呂は持統朝から文武朝にかけて活躍した宮廷歌人で、三十六歌仙の一人である。
初句「いで何か」は、さて、どうして、の意である。「いで」は思い立って言い出すときの語で、「何か」と自らに問いかけて歌を起こしている。
二句「ここだはなはだ」は、これほどまでにひどく、の意である。「ここだ」と「はなはだ」の同じような意の語を重ね、度合いの激しさを強調している。
三句「利心の」は、しっかりとした心、正気の、の意である。物事を冷静に判断する心を指している。
四句「失するまで思ふ」は、なくなってしまうほどに思う、の意である。正気を失うまで思い悩む恋の苦しさを表している。
結句「恋ゆゑにこそ」は、恋のためにこそである、の意である。係助詞「こそ」で強く言い切り、結びの語を省いて、初句の問いに対する答えとしている。
とごころ:しっかりとした心、正気
うす:消える、なくなる
- 作者
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柿本人麻呂歌集
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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赤らひく肌も触れずて寐ぬれども 心を異には我が思はなくに
- 次の歌
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恋ひ死なば恋ひも死ねとか我妹子が 我家の門を過ぎて行くらむ