恋ひ死なば恋ひも死ねとか我妹子が
我家の門を過ぎて行くらむ
- 歌の意味
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恋い死にするなら恋い死んでしまえというのか、我妹子が私の家の門の前を過ぎて行くのだろう。
- 鑑賞
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巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2401
詞書は前の歌に続き「正に心緒を述ぶ」
恋人が自分の家に立ち寄らず門の前を通り過ぎて行くのを見て、恋い死ぬならば死んでしまえというつもりなのかと恨んだ歌である。つれない相手の振る舞いに、恋に苦しむ自分の身を突き放されたように感じる嘆きが表れている。
初句と二句は、本巻の第二千三百七十首の「恋ひしなば恋ひも死ねとや」とほぼ同じ言い回しであり、つれない相手を恨む決まった表現として用いられていたことがうかがえる。また本巻の第二千三百九十首と同じく、恋による死を持ち出して苦しみの深さを示している。
作者は未詳であり、左注によれば柿本人麻呂歌集に出る歌である。人麻呂歌集には人麻呂自身の作と、人麻呂が書き留めた他の人々の歌とが含まれるとされる。柿本人麻呂は持統朝から文武朝にかけて活躍した宮廷歌人で、三十六歌仙の一人である。
初句「恋ひ死なば」は、恋い死にするならば、の意である。未然形に「ば」が付いた仮定条件で、相手の心を推し量る前提を置いている。
二句「恋ひも死ねとか」は、恋い死んでしまえというのか、の意である。「死ね」は命令形で、係助詞「か」が疑問を表し、結句の「らむ」と係り結びをなしている。ここで二句切れとなる。
三句「我妹子が」は、いとしい恋人が、の意である。親しみをこめた呼び方で、つれない相手をなお慕う心がこもる。
四句「我家の門を」は、私の家の門を、の意である。「我家」は自分の家をいう語で、相手が素通りする場所を具体的に示している。
結句「過ぎて行くらむ」は、通り過ぎて行くのだろう、の意である。現在推量の助動詞「らむ」が二句の「か」を受けて連体形で結び、相手の真意をいぶかしむ気持ちを表している。
わぎもこ:男性が妻や恋人を親しんで呼ぶ語
わぎへ:自分の家、わが家
- 作者
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柿本人麻呂歌集
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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いで何かここだはなはだ利心の 失するまで思ふ恋ゆゑにこそ
- 次の歌
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妹があたり遠くも見ればあやしくも 我れは恋ふるか逢ふよしなしに