妹があたり遠くも見ればあやしくも
我れは恋ふるか逢ふよしなしに
- 歌の意味
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妹の家のあたりを遠く見やると、不思議なほど私は恋しく思うことだ。逢う手立てもないのに。
- 鑑賞
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巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2402
詞書は前の歌に続き「正に心緒を述ぶ」
恋人の住むあたりを遠く眺めると、逢う手立てもないのに、不思議なほど恋しさがこみ上げてくると詠んだ歌である。遠く見るだけでかえって思いが募る、恋心の抑えがたさを率直に述べている。
「逢ふよしなしに」の「よし」は、本巻の第二千三百九十六首の「いかならむよしをもちてか」にも見え、恋の手立てがないことを嘆く点で通い合う。また前歌が門を過ぎて行く恋人を詠んだのに対し、本歌は遠くの恋人の家を望む形で、恋人との距離を詠む歌が続いている。
作者は未詳であり、左注によれば柿本人麻呂歌集に出る歌である。人麻呂歌集には人麻呂自身の作と、人麻呂が書き留めた他の人々の歌とが含まれるとされる。柿本人麻呂は持統朝から文武朝にかけて活躍した宮廷歌人で、三十六歌仙の一人である。
初句「妹があたり」は、妹の住むあたりを、の意である。恋人の家そのものではなく、その辺りを眺めやる控えめな姿が表れている。
二句「遠くも見れば」は、遠くから見ると、の意である。係助詞「も」が添えられ、遠く隔たっていることを強めている。
三句「あやしくも」は、不思議なほどに、の意である。自分でも理由がわからないほど恋しさが湧くことを表している。
四句「我れは恋ふるか」は、私は恋しく思うことよ、の意である。係助詞「か」が詠嘆を表し、動詞「恋ふ」の連体形「恋ふる」で結んでいる。ここで四句切れとなり、結句と倒置の関係にある。
結句「逢ふよしなしに」は、逢う手立てもないのに、の意である。倒置によって後に置かれ、四句の恋しさをいっそう切なく際立たせて結んでいる。
あたり:その付近、そのあたり
よし:手段、方法、手立て
- 作者
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柿本人麻呂歌集
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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恋ひ死なば恋ひも死ねとか我妹子が 我家の門を過ぎて行くらむ
- 次の歌
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玉くせの清き川原にみそぎして 斎ふ命は妹がためこそ