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あらたまの年は果つれど敷栲の
袖交へし子を忘れて思へや

歌の意味
年は暮れて終わってしまったが、袖を交わして共寝をしたあの子を、忘れて思うことなどあろうか。
鑑賞
巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2410

詞書は前の歌に続き「正に心緒を述ぶ」
 年が改まるほどの時が過ぎても、袖を交わして寝たあの子を忘れることなどないと、変わらぬ思いを誓うように詠んだ歌である。年の終わりという時の区切りを示しながら、それでも心は少しも変わらないと強く言い切っている。
 結句「忘れて思へや」は、本巻の第二千四百四首の結句と同じであり、同じ句で結ぶ歌が近くに置かれている。第二千四百四首が「一日の間も」と一日の尺度で忘れないことを詠むのに対し、本歌は「年は果つれど」と一年の尺度で詠んでおり、同じ主題を別の尺度で扱う対応が見られる。
 作者は未詳であり、左注によれば柿本人麻呂歌集に出る歌である。人麻呂歌集には人麻呂自身の作と、人麻呂が書き留めた他の人々の歌とが含まれるとされる。柿本人麻呂は持統朝から文武朝にかけて活躍した宮廷歌人で、三十六歌仙の一人である。

 初句「あらたまの」は「年」にかかる枕詞である。
 二句「年は果つれど」は、年は終わってしまうが、の意である。「果つれど」は動詞「果つ」の已然形に逆接の助詞「ど」が付いた形で、時が過ぎても変わらない思いへと続けている。
 三句「敷栲の」は「袖」にかかる枕詞である。敷栲は寝床に敷く布をいい、共寝を思わせる語である。
 四句「袖交へし子を」は、袖を交わして共寝をした娘を、の意である。「交へし」の「し」は過去の助動詞「き」の連体形で、かつての共寝を回想している。
 結句「忘れて思へや」は、忘れて思うことがあろうか、いや忘れはしない、の意の反語である。「や」は已然形「思へ」に付いて反語を表す。本巻の第二千四百四首と同じ結句である。

あらたま:「あらたまの」の形で「年」などにかかる枕詞となる
しきたへ:寝床に敷く布。「しきたへの」の形で「袖」「枕」などにかかる枕詞となる
はつ:終わる、尽きる
作者
柿本人麻呂歌集
出典
万葉集
前の歌
君に恋ひうらぶれ居れば悔しくも 我が下紐の結ふ手いたづらに
次の歌
白栲の袖をはつはつ見しからに かかる恋をも我れはするかも