娘子らを袖振る山の瑞垣の
久しき時ゆ思ひけり我れは
- 歌の意味
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布留の山の神社の瑞垣のように、久しい昔から思ってきたのだ、私は。
- 鑑賞
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巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2415
詞書「物に寄せて思ひを陳ぶ」
布留山の神社の古い瑞垣のように、ずっと昔からあなたを思い続けてきたと、長い年月にわたる恋心を詠んだ歌である。神域の垣の古さを恋の久しさにたとえ、変わらない思いの重みを表している。
詞書の「物に寄せて思ひを陳ぶ」は、自然の景物や身近な物にことよせて恋の思いを述べる歌を集めた部立である。本歌から人麻呂歌集の寄物陳思の歌群が始まり、まず神や神域にかかわる歌が並ぶ。本歌は布留の瑞垣に寄せた歌である。
巻第四の第五百一首には、柿本人麻呂の作としてほぼ同じ形の歌が収められている。
作者は未詳であり、左注によれば柿本人麻呂歌集に出る歌である。人麻呂歌集には人麻呂自身の作と、人麻呂が書き留めた他の人々の歌とが含まれるとされる。柿本人麻呂は持統朝から文武朝にかけて活躍した宮廷歌人で、三十六歌仙の一人である。
初句「娘子らを」は、少女たちが袖を振るの意から「袖振る」にかかる枕詞である。
二句「袖振る山の」は、布留の山の、の意である。「振る」に地名の布留(奈良県天理市)を掛けている。布留には石上神宮がある。
三句「瑞垣の」は、神社の神聖な垣の、の意である。初句からこの句までが序詞で、瑞垣が古くからあることから「久しき」を導いている。
四句「久しき時ゆ」は、久しい昔から、の意である。「ゆ」は起点を表す助詞である。
結句「思ひけり我れは」は、思ってきたのだ、私は、の意である。「我れは」を後に置く倒置で、長く思い続けてきたのが自分であることを強く言い切っている。字余りの句である。
みづかき:神社の周囲に巡らした神聖な垣
をとめ:年若い女性、少女
- 作者
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柿本人麻呂歌集
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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恋ふること慰めかねて出でて行けば 山を川をも知らず来にけり
- 次の歌
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ちはやぶる神の持たせる命をば 誰がためにかも長く欲りせむ