月見れば国は同じぞ山へなり
愛し妹はへなりたるかも
- 歌の意味
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月を見ると、同じ月が照らす国は同じなのだ。それなのに山が隔てて、いとしい妻は遠く隔たっていることだなあ。
- 鑑賞
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巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2420
詞書は前の歌に続き「物に寄せて思ひを陳ぶ」
同じ月を眺めているのだから住む国は同じはずなのに、山に隔てられて、いとしい人とは遠く離れてしまっていると嘆いた歌である。月を通して相手とのつながりを感じながら、山という現実の隔たりを思い知らされる心の動きが表れている。
月に寄せて思いを述べる歌である。三句の「へなり」は本巻の第二千四百二十二首の「へなれる山」と同じ語であり、山の隔てを詠む歌が続いている。前歌の第二千四百十九首が天地という大きな存在に寄せるのに続き、本歌は天にかかる月に寄せている。
作者は未詳であり、左注によれば柿本人麻呂歌集に出る歌である。人麻呂歌集には人麻呂自身の作と、人麻呂が書き留めた他の人々の歌とが含まれるとされる。柿本人麻呂は持統朝から文武朝にかけて活躍した宮廷歌人で、三十六歌仙の一人である。
初句「月見れば」は、月を見ると、の意である。「ば」は順接の確定条件を表し、同じ月を見ていることを思い起こさせる。
二句「国は同じぞ」は、国は同じなのだ、の意である。係助詞「ぞ」で強く言い切り、ここで句切れとなる。
三句「山へなり」は、山が隔てて、の意である。「へなる」は隔たる、隔てるの意の動詞である。本巻の第二千四百二十二首の「へなれる」と同じ語である。
四句「愛し妹は」は、いとしい妻は、の意である。「愛し」はいとしい、かわいいの意の形容詞である。
結句「へなりたるかも」は、隔たっていることだなあ、の意である。三句の「へなり」を繰り返して隔たりを強く印象づけ、終助詞「かも」が詠嘆を表している。
へなる:隔たる、隔てる
いも:男性が恋人や妻を親しんで呼ぶ語
- 作者
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柿本人麻呂歌集
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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天地といふ名の絶えてあらばこそ 汝と我れと逢ふことやまめ
- 次の歌
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来る道は岩踏む山はなくもがも 我が待つ君が馬つまづくに