宇治川の瀬々のしき波しくしくに
妹は心に乗りにけるかも
- 歌の意味
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宇治川の瀬ごとに次々と寄せる波のように、しきりに、妻は私の心にすっかり乗りかかってしまったことだ。
- 鑑賞
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巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2427
詞書は前の歌に続き「物に寄せて思ひを陳ぶ」
宇治川の瀬ごとに次々と立つ波のように、絶え間なく妻のことが心にかかって離れないと詠んだ歌である。急流で知られる宇治川の波の重なりを序として、恋人の面影がしきりに心を占めるさまを表している。
川に寄せて思いを述べる歌で、本歌から次歌の第二千四百二十八首、第二千四百二十九首、第二千四百三十首と、宇治川を詠む歌が続く。結句の「妹は心に乗りにけるかも」は巻第二の第百首にも見える表現であり、恋人が心に乗りかかって離れないことをいう慣用的な言い回しであったと考えられる。
作者は未詳であり、左注によれば柿本人麻呂歌集に出る歌である。人麻呂歌集には人麻呂自身の作と、人麻呂が書き留めた他の人々の歌とが含まれるとされる。柿本人麻呂は持統朝から文武朝にかけて活躍した宮廷歌人で、三十六歌仙の一人である。
初句「宇治川の」は、宇治川の、の意である。宇治川は現在の京都府宇治市を流れる川で、流れの速さで知られた。
二句「瀬々のしき波」は、あちこちの瀬に次々と寄せる波、の意である。初句からこの句までが序詞で、「しき波」の「しき」の音と、波が重なって寄せるさまから、三句の「しくしくに」を導いている。
三句「しくしくに」は、しきりに、次々と絶え間なく、の意である。序詞から転じて、ここから心情を述べる本旨に入っている。
四句「妹は心に」は、妻は私の心に、の意である。
結句「乗りにけるかも」は、乗りかかってしまったことだなあ、の意である。恋人が心から離れないことを、心に乗るという具体的な言い方で表しており、終助詞「かも」が詠嘆を表している。
せぜ:あちこちの瀬
しきなみ:次々と寄せる波
- 作者
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柿本人麻呂歌集
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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遠山に霞たなびきいや遠に 妹が目見ねば我れ恋ひにけり
- 次の歌
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ちはや人宇治の渡りの瀬を早み 逢はずこそあれ後も我が妻