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鴨川の後瀬静けく後も逢はむ
妹には我れは今ならずとも

歌の意味
鴨川の下流の瀬が静かであるように、後にでも逢おう、あの子には私は、たとえ今でなくても。
鑑賞
巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2431

詞書は前の歌に続き「物に寄せて思ひを陳ぶ」
 鴨川の下流の瀬が穏やかに流れるように、今すぐでなくとも後に心静かに逢おうと、はやる気持ちを自ら鎮める歌である。急な流れの上流に対して静かな下流を思い描き、逢えない今を受け入れて先を待とうとする心が表れている。
 宇治川を詠んだ一連に続いて、山背の鴨川を取り上げている。第二千四百二十八首の「後も我が妻」と本歌の「後も逢はむ」とは、いずれも今は逢えない恋を将来への期待でしのぐ歌として対応している。
 作者は未詳であり、左注によれば柿本人麻呂歌集に出る歌である。人麻呂歌集には人麻呂自身の作と、人麻呂が書き留めた他の人々の歌とが含まれるとされる。柿本人麻呂は持統朝から文武朝にかけて活躍した宮廷歌人で、三十六歌仙の一人である。

 初句「鴨川の」は、山背を流れる鴨川をいう。前の歌々の宇治川から、同じ山背の川へと場所を移している。
 二句「後瀬静けく」は、下流の瀬が静かであるように、の意である。初句からここまでが序詞で、「後瀬」の「後」と同じ音によって三句の「後」を導いている。
 三句「後も逢はむ」は、後にでも逢おう、の意である。助動詞「む」は意志を表し、ここでいったん切れる三句切れである。
 四句「妹には我れは」は、あの子には私は、の意である。本来は三句の前に来るべき語句を後に置いた倒置の形になっている。
 結句「今ならずとも」は、たとえ今でなくても、の意である。「とも」は逆接の仮定条件を表し、今逢えないことを自分に言い聞かせて結んでいる。

のちせ:川の下流の瀬
いも:男性が恋人や妻を親しんで呼ぶ語
作者
柿本人麻呂歌集
出典
万葉集
前の歌
宇治川の水泡さかまき行く水の 事かへらずぞ思ひ染めてし
次の歌
言に出でて言はばゆゆしみ山川の たぎつ心を塞かへたりけり