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隠り沼の下ゆ恋ふればすべをなみ
妹が名告りつ忌むべきものを

歌の意味
隠れ沼のように心の内でひそかに恋い続けているので、どうしようもなくて、あの子の名を口に出してしまった。慎むべきものなのに。
鑑賞
巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2441

詞書は前の歌に続き「物に寄せて思ひを陳ぶ」
 人目に隠れた沼のように心の奥でひそかに恋い続けてきたが、思いがあふれてどうにもならず、口にしてはならない恋人の名を言ってしまったと悔やむ歌である。恋人の名を人に明かすことを忌む古代の習わしを背景に、抑えきれない恋の苦しさを表している。
 本巻の第二千四百三十二首は、言葉にすることを忌んで心をせき止めた歌であった。本歌はそれとは反対に、こらえきれずに妹の名を告げてしまった歌であり、秘める恋の二つの局面が詠み分けられている。
 作者は未詳であり、左注によれば柿本人麻呂歌集に出る歌である。人麻呂歌集には人麻呂自身の作と、人麻呂が書き留めた他の人々の歌とが含まれるとされる。柿本人麻呂は持統朝から文武朝にかけて活躍した宮廷歌人で、三十六歌仙の一人である。

 初句「隠り沼の」は「下」にかかる枕詞である。草などに覆われて水の流れ出ない沼が、表から見えないことから「下」を導いている。
 二句「下ゆ恋ふれば」は、心の内でひそかに恋い続けているので、の意である。「下」は心の内、「ゆ」は経由や起点を表す助詞で、「恋ふれば」は已然形に「ば」が付いた確定条件である。
 三句「すべをなみ」は、どうしようもないので、の意である。名詞「すべ」に「を」と形容詞「無し」の語幹、「み」が付いたミ語法で、理由を表している。
 四句「妹が名告りつ」は、あの子の名を口に出してしまった、の意である。完了の助動詞「つ」で言い切り、ここで切れる四句切れである。
 結句「忌むべきものを」は、慎むべきものなのに、の意である。接続助詞「ものを」が逆接と詠嘆を表し、してはならないことをしてしまった悔いを込めて結んでいる。

こもりぬ:草などに覆われて水の流れ出ない沼
すべ:物事を行う手段、方法
なのる:名を口に出して言う
いむ:けがれや災いを恐れて慎む
作者
柿本人麻呂歌集
出典
万葉集
前の歌
近江の海沖漕ぐ舟のいかり下ろし 隠りて君が言待つ我れぞ
次の歌
大地は取り尽すとも世の中の 尽しえぬものは恋にしありけり