隠りどの沢泉なる岩が根も
通してぞ思ふ我が恋ふらくは
- 歌の意味
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人目につかない所の沢の泉にある岩の根さえも、貫き通すほどに思っている。私の恋しく思う気持ちは。
- 鑑賞
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巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2443
詞書は前の歌に続き「物に寄せて思ひを陳ぶ」
人知れぬ沢の泉の底にある固い岩の根でさえ、貫き通すほどに強く思っていると、自らの恋の一途さを述べた歌である。目に見えない所にある堅固な岩を引き合いに出し、ひそかでありながら激しい恋の力を表している。
前歌の第二千四百四十二首が大地を取り尽くしても尽きない恋を詠んだのに続き、本歌は岩の根をも貫く恋を詠んでいる。土と石という堅く大きなものを、恋の深さと強さを測る尺度とした二首であり、次歌の第二千四百四十四首も石辺の山の常磐に寄せて、石に寄せる歌が続いている。
作者は未詳であり、左注によれば柿本人麻呂歌集に出る歌である。人麻呂歌集には人麻呂自身の作と、人麻呂が書き留めた他の人々の歌とが含まれるとされる。柿本人麻呂は持統朝から文武朝にかけて活躍した宮廷歌人で、三十六歌仙の一人である。
初句「隠りどの」は、人目につかない所の、の意である。ひそかな場所であることが、人知れぬ恋の思いと重なっている。
二句「沢泉なる」は、沢の泉にある、の意である。「なる」は存在を表す助動詞「なり」の連体形である。
三句「岩が根も」は、岩の根さえも、の意である。地中に深く根を張った固い岩をいい、係助詞「も」は、それほど堅いものまでも、という気持ちを表している。
四句「通してぞ思ふ」は、貫き通すほどに思う、の意である。係助詞「ぞ」を受けて動詞「思ふ」が連体形で結ぶ係り結びとなり、ここで切れる四句切れである。
結句「我が恋ふらくは」は、私が恋しく思うことは、の意である。「恋ふらく」は動詞「恋ふ」のク語法で、四句の主語にあたる語を後に置いた倒置となっている。
こもりど:人目につかない所
さはいづみ:沢に湧く泉
いはがね:地中に根を張ったように据わる大きな岩
- 作者
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柿本人麻呂歌集
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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大地は取り尽すとも世の中の 尽しえぬものは恋にしありけり
- 次の歌
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白真弓石辺の山の常磐なる 命なれやも恋ひつつ居らむ