雲間よりさ渡る月のおほほしく
相見し子らを見むよしもがも
- 歌の意味
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雲間を渡ってゆく月がぼんやりと見えるように、おぼろげにしか逢わなかったあの子に、もう一度逢う手だてがあればよいのに。
- 鑑賞
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巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2450
詞書は前の歌に続き「物に寄せて思ひを陳ぶ」
雲の間を渡ってゆく月がぼんやりとしか見えないように、ほのかにしか逢えなかった娘に、もう一度逢う手だてがほしいと願う恋の歌である。雲間に見え隠れする月の姿に、わずかに目にした恋人の面影を重ねている。
前歌の第二千四百四十九首と三句、四句の「おほほしく相見し子らを」を共有する。前歌が香具山にたなびく雲を序として後の恋しさを予感したのに対し、本歌は雲間の月を序として再会を願っており、同じ句を持つ二首が対をなしている。
作者は未詳であり、左注によれば柿本人麻呂歌集に出る歌である。人麻呂歌集には人麻呂自身の作と、人麻呂が書き留めた他の人々の歌とが含まれるとされる。柿本人麻呂は持統朝から文武朝にかけて活躍した宮廷歌人で、三十六歌仙の一人である。
初句「雲間より」は、雲の切れ間を通って、の意である。「より」は経由する場所を示す助詞である。
二句「さ渡る月の」は、空を渡ってゆく月の、の意で、「さ」は語調を整える接頭語である。上二句が、雲間の月がかすんで見えるさまから「おほほしく」を導く序詞となっている。
三句「おほほしく」は、ぼんやりとして、はっきりしないさまをいう。前歌と同じく、序詞の景から恋の思いへと転じる句である。
四句「相見し子らを」は、逢ったあの子を、の意で、前歌の四句と同じ句である。「子ら」の「ら」は親しみを表す接尾語である。
結句「見むよしもがも」は、逢う手だてがあればよいのに、の意である。「よし」は手段、方法をいい、「もがも」は願望を表す終助詞である。
くもま:雲の切れ間
さわたる:空などを渡ってゆく。「さ」は接頭語
よし:手段、方法、手だて
- 作者
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柿本人麻呂歌集
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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香具山に雲居たなびきおほほしく 相見し子らを後恋ひむかも
- 次の歌
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天雲の寄り合ひ遠み逢はずとも 異し手枕我れまかめやも