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三日月のさやにも見えず雲隠り
見まくぞ欲しきうたてこのころ

歌の意味
三日月がはっきりとも見えずに雲に隠れているように、はっきりとは見られないあの人を見たくてならない。このごろはどうしようもなく。
鑑賞
巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2464

詞書は前の歌に続き「物に寄せて思ひを陳ぶ」
 三日月がはっきりとも見えずに雲に隠れてしまうように、なかなか姿を見せない恋人に逢いたくてならないと、このごろの抑えがたい恋しさを詠んだ恋の歌である。細く淡い三日月が雲に隠れるはかなさに、見えそうで見えない恋人への思いを重ねている。
 月に寄せる歌の一連の最後に置かれている。本巻の第二千四百六十一首も三日月を序とするが、そちらがわずかながら恋人を見たことを詠むのに対し、本歌は見えないことを嘆いており、同じ三日月が見えることと見えないこととの対をなしている。また一連の始めの第二千四百六十首が月に雲がかからぬことを願ったのに対し、本歌では月が雲に隠れており、雲と月の関係が反転している。
 作者は未詳であり、左注によれば柿本人麻呂歌集に出る歌である。人麻呂歌集には人麻呂自身の作と、人麻呂が書き留めた他の人々の歌とが含まれるとされる。柿本人麻呂は持統朝から文武朝にかけて活躍した宮廷歌人で、三十六歌仙の一人である。

 初句「三日月の」は、陰暦三日の夜の細い月をいう。三句までが序詞となり、三日月がはっきり見えないさまから、恋人を見たいという四句の思いを導いている。
 二句「さやにも見えず」は、はっきりとも見えず、の意である。「さやに」ははっきりと、の意で、係助詞「も」が添えられている。
 三句「雲隠り」は、雲に隠れて、の意である。前歌の三句「隠りなば」と同じ語を用い、前歌が案じた月の隠れが本歌では現実のものとなっている。
 四句「見まくぞ欲しき」は、見たいことだ、の意である。「見まく」は「見む」のク語法で、係助詞「ぞ」を受けて形容詞「欲し」が連体形「欲しき」で結ぶ係り結びとなっており、ここで句切れとなる。
 結句「うたてこのころ」は、このごろはひどく、の意である。「うたて」は程度が普通でなく進むさまをいい、四句の後に倒置の形で添えられ、「このころ」という体言で言い終える体言止めとなっている。

みかづき:陰暦三日の夜の細い月
くもがくる:雲に隠れる
このころ:近ごろ、このごろ
作者
柿本人麻呂歌集
出典
万葉集
前の歌
久方の天照る月の隠りなば 何になそへて妹を偲はむ
次の歌
我が背子に我が恋ひ居れば我が宿の 草さへ思ひうらぶれにけり