我が背子に我が恋ひ居れば我が宿の
草さへ思ひうらぶれにけり
- 歌の意味
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あの人に私が恋い慕っていると、私の家の草までも物思いをして、しおれてしまったことだ。
- 鑑賞
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巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2465
詞書は前の歌に続き「物に寄せて思ひを陳ぶ」
恋しい人を思い続けていると、自分の家の庭の草までが物思いに沈んでしおれてしまったと、女の立場から恋の嘆きを詠んだ歌である。しおれた草を、自分と同じように思い悩むものと見ることで、身の周りのすべてが恋の悲しみに染まっているさまを表している。
月に寄せる歌の一連に続き、本歌から草に寄せる歌が続く。「我が」を三度重ねて自分の身の周りに目を向け、そこにある草に心を託した一首である。本巻の第二千四百六十九首にも「うらぶれて」の語が見え、草木に寄せて恋に沈む心を言う点で通じ合っている。
作者は未詳であり、左注によれば柿本人麻呂歌集に出る歌である。人麻呂歌集には人麻呂自身の作と、人麻呂が書き留めた他の人々の歌とが含まれるとされる。柿本人麻呂は持統朝から文武朝にかけて活躍した宮廷歌人で、三十六歌仙の一人である。
初句「我が背子に」は、私のいとしいあの人に、の意である。「背子」は女性が夫や恋人を親しんで呼ぶ語で、本歌が女の歌であることを示している。
二句「我が恋ひ居れば」は、私が恋い慕っていると、の意である。已然形に「ば」が付いた確定条件で、恋い続けている状態が下の句の原因となっている。
三句「我が宿の」は、私の家の、の意である。初句から「我が」を三度繰り返し、思いを自分の身辺に集めている。
四句「草さへ思ひ」は、草までもが物思いをして、の意である。副助詞「さへ」は添加を表し、自分ばかりか草までも、と草を人のように扱っている。
結句「うらぶれにけり」は、しおれてしまったことだ、の意である。「うらぶる」は心がしおれて悲しみに沈む意で、草のしおれるさまと心のしおれとを重ねている。完了の助動詞「ぬ」と詠嘆の助動詞「けり」で、気づいた驚きを込めて結んでいる。
せこ:女性が夫や恋人を親しんで呼ぶ語
やど:家、また家の庭先
うらぶる:心がしおれる、悲しみに沈む
- 作者
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柿本人麻呂歌集
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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三日月のさやにも見えず雲隠り 見まくぞ欲しきうたてこのころ
- 次の歌
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浅茅原小野に標結ふ空言を いかなりと言ひて君をし待たむ