浅茅原小野に標結ふ空言を
いかなりと言ひて君をし待たむ
- 歌の意味
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浅茅の生える野に標を結うような、実のない空言なのに、それをどうだと言って、あなたを待ったらよいのだろうか。
- 鑑賞
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巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2466
詞書は前の歌に続き「物に寄せて思ひを陳ぶ」
浅茅の原に標を結うように実のない空言を、何だと言って頼みにし、あなたを待てばよいのかと、男の言葉の不確かさを嘆いた女の恋の歌である。相手の約束を信じきれないままに待つほかない、やるせない心が表れている。
前歌に続き草に寄せる歌で、女の立場から詠まれている。前歌が恋の思いに草までしおれると嘆いたのに対し、本歌は浅茅の原に結う標を序として、男の言葉の空しさを責めている。次歌の第二千四百六十七首は「後も」と言う相手を男の側から責める歌であり、約束をめぐる女と男の嘆きが並べられている。
作者は未詳であり、左注によれば柿本人麻呂歌集に出る歌である。人麻呂歌集には人麻呂自身の作と、人麻呂が書き留めた他の人々の歌とが含まれるとされる。柿本人麻呂は持統朝から文武朝にかけて活躍した宮廷歌人で、三十六歌仙の一人である。
初句「浅茅原」は、丈の低いチガヤが一面に生えている野原をいう。
二句「小野に標結ふ」は、野に標を結う、の意である。「標」は土地などの占有を示すしるしで、初句と合わせた上二句が、浅茅の原に標を結っても実りのない空しさから「空言」を導く序詞となっている。
三句「空言を」は、実のない言葉、うその言葉を、の意である。序詞を受けて、相手の言葉の頼りなさを言い表している。
四句「いかなりと言ひて」は、どういうことだと言って、の意である。八音の字余りであり、疑問の語「いかなり」によって、待つ理由を見いだせない思いを示している。
結句「君をし待たむ」は、あなたを待とうか、の意である。「し」は強意の副助詞で、推量の助動詞「む」が四句の「いかなり」と呼応し、とても待つことはできないという嘆きを込めて結んでいる。
あさぢ:丈の低いチガヤ
しめ:土地などの占有を示すしるし。縄を張ったり木を立てたりした
ゆふ:結ぶ
むなこと:実のない言葉、うそ
- 作者
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柿本人麻呂歌集
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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我が背子に我が恋ひ居れば我が宿の 草さへ思ひうらぶれにけり
- 次の歌
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道の辺の草深百合の後もと言ふ 妹が命を我れ知らめやも