道の辺の草深百合の後もと言ふ
妹が命を我れ知らめやも
- 歌の意味
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道のほとりの草深い所に咲く百合の「ゆり」のように、後にもと言うあの子の命を、私が知っていようか、いや知りはしない。
- 鑑賞
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巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2467
詞書は前の歌に続き「物に寄せて思ひを陳ぶ」
道のほとりの草深い所に咲く百合のように、「後にも逢おう」と言うあの子だが、人の命は先がわからないものであり、その後まで命があるかどうかを私が知るはずもないと、先延ばしにする恋人に今こそ逢いたいと迫った恋の歌である。命のはかなさを持ち出して、逢瀬を待ちかねる男の焦りを訴えている。
前歌に続き草に寄せる歌である。前歌が男の空言を嘆く女の歌であったのに対し、本歌は「後も」と言って逢瀬を延ばす女を男が責める歌であり、約束をめぐって待つ側の嘆きを女と男の両方から詠む二首が並んでいる。百合の名から「後」の意の「ゆり」を導く言い回しは、万葉集の他の巻にも例がある。
作者は未詳であり、左注によれば柿本人麻呂歌集に出る歌である。人麻呂歌集には人麻呂自身の作と、人麻呂が書き留めた他の人々の歌とが含まれるとされる。柿本人麻呂は持統朝から文武朝にかけて活躍した宮廷歌人で、三十六歌仙の一人である。
初句「道の辺の」は、道のほとりの、の意である。
二句「草深百合の」は、草の深く茂った中に咲く百合の、の意である。初句と合わせた上二句が序詞となり、百合の名と同じ音で「後」を意味する古語「ゆり」を響かせて、三句の「後」を導いている。
三句「後もと言ふ」は、後にもと言う、の意である。下に「逢はむ」などの語が略されており、今ではなく後で逢おうと先延ばしにする恋人の言葉を引いている。
四句「妹が命を」は、あの子の命を、の意である。後に逢うと言っても、そのときまで命があるかどうかはわからないという思いを込めている。
結句「我れ知らめやも」は、私が知っていようか、いや知りはしない、の意である。推量の助動詞「む」の已然形「め」に「やも」が付いた反語で、人の命の先は誰にもわからないことを強く言い切っている。
みちのへ:道のほとり
くさぶかゆり:草の深く茂った中に咲く百合
ゆり:後、のちの意。百合の名と同じ音であることから百合に言いかけられる
- 作者
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柿本人麻呂歌集
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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浅茅原小野に標結ふ空言を いかなりと言ひて君をし待たむ
- 次の歌
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港葦に交じれる草のしり草の 人皆知りぬ我が下思ひは