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港葦に交じれる草のしり草の
人皆知りぬ我が下思ひは

歌の意味
港の葦に交じって生えている草のしり草ではないが、人は皆知ってしまった、私の心の内に秘めた思いは。
鑑賞
巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2468

詞書は前の歌に続き「物に寄せて思ひを陳ぶ」
 港の葦に交じって生えるしり草の名から「知り」を言い起こし、心の内に秘めていた恋が人々にすっかり知られてしまったと嘆く歌である。隠していたはずの思いが露わになった戸惑いを、水辺の草に寄せて詠んでいる。
 物に寄せて思ひを陳ぶ歌の一首で、草に寄せた恋の歌である。草の名の音を序詞として本旨を導く手法は、本巻の第二千四百八十首にも見られ、そこでも四句は同じ「人皆知りぬ」となっている。人に知られる恋という同じ主題を、しり草といちしの花という別の草に寄せて詠み分けた一対である。
 作者は未詳であり、左注によれば柿本人麻呂歌集に出る歌である。人麻呂歌集には人麻呂自身の作と、人麻呂が書き留めた他の人々の歌とが含まれるとされる。柿本人麻呂は持統朝から文武朝にかけて活躍した宮廷歌人で、三十六歌仙の一人である。

 初句「港葦に」は、河口や水の出入りする所に生える葦をいう。原文は「湖葦」と書かれ、これを「みなとあし」と訓んでいる。
 二句「交じれる草の」は、葦の間に交じって生えている草の意である。「る」は存続の助動詞「り」の連体形である。
 三句「しり草の」は、水辺に生える草の名である。初句からここまでが序詞で、「しり」の音の繰り返しによって次の「知り」を導いている。
 四句「人皆知りぬ」は、人は皆知ってしまった、の意である。「ぬ」は完了の助動詞で、ここで句切れとなり、主語の「我が下思ひは」が後に置かれる倒置となっている。
 結句「我が下思ひは」は、私が心の中に秘めた恋心は、の意である。倒置によって、知られてしまった思いを最後に示して嘆きを強めている。

みなと:川や海の水の出入りする所、河口
しりくさ:水辺に生える草の名。サンカクイの類とされる
したもひ:心の中に秘めて表に出さない思い
作者
柿本人麻呂歌集
出典
万葉集
前の歌
道の辺の草深百合の後もと言ふ 妹が命を我れ知らめやも
次の歌
山ぢさの白露重みうらぶれて 心も深く我が恋やまず