見わたしの三室の山の巌菅
ねもころ我れは片思ぞする
- 歌の意味
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見渡すかなたの三室の山の巌菅の根のように、ねんごろに心を込めて、私は片思いをしている。
- 鑑賞
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巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2472
詞書は前の歌に続き「物に寄せて思ひを陳ぶ」
遠く見渡す三室の山の岩に生える菅の根から「ねもころ」を言い起こし、心を尽くしながら報われない片思いを嘆いた歌である。神の山の岩に根を張る菅の姿に、ひたむきでありながら届かない思いを重ねている。
物に寄せて思ひを陳ぶ歌の一首で、菅に寄せた歌が続く中の一首である。次歌も「ねもころ」の語を用いており、菅の根から「ねもころ」を導く点で二首が対応している。
なお原文には「一云 みもろの山の岩小菅」という異伝が注記されている。二句、三句を「みもろの山の岩小菅」とする伝えであるが、ここでは本文の「三室の山の巌菅」を採った。
作者は未詳であり、左注によれば柿本人麻呂歌集に出る歌である。人麻呂歌集には人麻呂自身の作と、人麻呂が書き留めた他の人々の歌とが含まれるとされる。柿本人麻呂は持統朝から文武朝にかけて活躍した宮廷歌人で、三十六歌仙の一人である。
初句「見わたしの」は、見渡すかなたの、の意である。遠くに望む山を指し示している。
二句「三室の山の」は、神の降りる山の意で、三輪山を指すとされる。「三室」は神をまつる所をいう。
三句「巌菅」は、岩の上に生える菅である。初句からここまでが序詞で、菅の「根」から同音を含む次の「ねもころ」を導いている。
四句「ねもころ我れは」は、心を込めて、ねんごろに私は、の意である。
結句「片思ぞする」は、片思いをしている、の意である。係助詞「ぞ」を受けて「する」と連体形で結ぶ係り結びで、報われない思いを強く言い切っている。
みむろ:神の降りる所、神をまつる所
いはほすげ:岩の上に生える菅
かたもひ:片思い
- 作者
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柿本人麻呂歌集
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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山背の泉の小菅なみなみに 妹が心を我が思はなくに
- 次の歌
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菅の根のねもころ君が結びてし 我が紐の緒を解く人もなし