我が宿の軒にしだ草生ひたれど
恋忘れ草見れどいまだ生ひず
- 歌の意味
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私の家の軒にしだ草は生えているけれど、恋を忘れさせるという忘れ草は、見てもまだ生えていない。
- 鑑賞
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巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2475
詞書は前の歌に続き「物に寄せて思ひを陳ぶ」
家の軒にはしだ草が生えているのに、恋の苦しさを忘れさせてくれる忘れ草は探してもまだ生えていないと、恋を忘れることのできない嘆きを詠んだ歌である。草の名の「忘れ」に願いを託す、軽妙さの中に切なさのある一首である。
物に寄せて思ひを陳ぶ歌の一首で、草に寄せた恋の歌である。菅に寄せる歌が続いた後に、しだ草と忘れ草という二つの草を対比させて置かれている。生えている草と生えていない草とを対にする構図に工夫がある。
忘れ草は萱草のことで、身につけると憂いを忘れると信じられており、万葉集には大伴旅人の歌などにも詠まれている。
作者は未詳であり、左注によれば柿本人麻呂歌集に出る歌である。人麻呂歌集には人麻呂自身の作と、人麻呂が書き留めた他の人々の歌とが含まれるとされる。柿本人麻呂は持統朝から文武朝にかけて活躍した宮廷歌人で、三十六歌仙の一人である。
初句「我が宿の」は、私の家の、の意である。「宿」は家や家の庭先をいう。
二句「軒にしだ草」は、家の軒に生えるしだ草の意である。軒に生える羊歯の類で、ノキシノブのこととされる。
三句「生ひたれど」は、生えているけれど、の意である。「たれ」は存続の助動詞「たり」の已然形で、「ど」は逆接の助詞である。
四句「恋忘れ草」は、恋を忘れさせる草、すなわち忘れ草をいう。生えているしだ草と対比されている。
結句「見れどいまだ生ひず」は、見てもまだ生えていない、の意である。九音の字余りの句で、待ち望んでも生えない忘れ草への落胆を込めて結んでいる。
やど:家、家の庭先
しだくさ:軒に生える羊歯の類。ノキシノブのこととされる
わすれくさ:萱草のこと。身につけると憂いを忘れるとされた
- 作者
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柿本人麻呂歌集
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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山菅の乱れ恋のみせしめつつ 逢はぬ妹かも年は経につつ
- 次の歌
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打つ田には稗はしあまたありといへど 選えし我れぞ夜をひとり寝る