大野らにたどきも知らず標結ひて
ありかつましじ我が恋ふらくは
- 歌の意味
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広い野原に、手がかりもわからないまま標を結って自分のものとしたように、とても堪えてはいられそうもない、私の恋しさは。
- 鑑賞
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巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2481
詞書は前の歌に続き「物に寄せて思ひを陳ぶ」
広い野原に当てもなく標を結ったように、どうしてよいかわからないまま恋に踏み込んでしまい、とても堪えていられそうもないと、行き場のない恋の苦しさを詠んだ歌である。手に入るあてのない相手を思い定めてしまった心のたとえとして、野に結う標を用いている。
物に寄せて思ひを陳ぶ歌の一首で、標に寄せた恋の歌である。標を結うことを恋人を自分のものと定めることのたとえとする趣向は、本巻の第二千四百六十六首の「小野に標結ふ」にも見られる。前歌までの草花に寄せる歌に対し、本歌は野に結う標に思いを寄せている。
作者は未詳であり、左注によれば柿本人麻呂歌集に出る歌である。人麻呂歌集には人麻呂自身の作と、人麻呂が書き留めた他の人々の歌とが含まれるとされる。柿本人麻呂は持統朝から文武朝にかけて活躍した宮廷歌人で、三十六歌仙の一人である。
初句「大野らに」は、広い野原に、の意である。「ら」は語調を整える接尾語である。
二句「たどきも知らず」は、手がかりもわからないまま、の意である。どうすればよいかわからない恋の心細さを表している。
三句「標結ひて」は、標を結って、の意である。初句からここまでが比喩となっており、当てもなく恋人を自分のものと思い定めたことをたとえている。
四句「ありかつましじ」は、とても堪えていられそうもない、の意である。「かつ」は堪えられる意、「ましじ」は打消推量の助動詞で、ここで句切れとなる。
結句「我が恋ふらくは」は、私が恋い慕うことは、の意である。「恋ふらく」は「恋ふ」のク語法で、倒置によって恋の苦しさを最後に示している。
しめ:土地の占有や立ち入り禁止を示すしるし。縄などを張って示す
たどき:手がかり、方法
ありかつ:そのままの状態で堪えている
- 作者
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柿本人麻呂歌集
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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道の辺のいちしの花のいちしろく 人皆知りぬ我が恋妻は
- 次の歌
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水底に生ふる玉藻のうち靡き 心は寄りて恋ふるこのころ