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袖振らば見ゆべき限り我れはあれど
その松が枝に隠らひにけり

歌の意味
袖を振ったら見えるはずの所に私はいるけれど、あなたはその松の枝に隠れてしまったことだ。
鑑賞
巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2485

詞書は前の歌に続き「物に寄せて思ひを陳ぶ」
 袖を振れば見えるはずの所に私はいるのに、去っていくあなたの姿はあの松の枝に隠れてしまったと、別れを見送る名残惜しさを詠んだ歌である。去りゆく人をいつまでも見送る女の歌と解されている。
 物に寄せて思ひを陳ぶ歌の一首で、松に寄せた歌である。前歌の「植ゑし松の木」を受けるように「その松が枝」と詠んでおり、前歌では再会を待つしるしであった松が、本歌では別れの姿を隠すものとなっている。同じ松を待つ心と別れの心との両面から詠んだ配列である。
 作者は未詳であり、左注によれば柿本人麻呂歌集に出る歌である。人麻呂歌集には人麻呂自身の作と、人麻呂が書き留めた他の人々の歌とが含まれるとされる。柿本人麻呂は持統朝から文武朝にかけて活躍した宮廷歌人で、三十六歌仙の一人である。

 初句「袖振らば」は、袖を振ったならば、の意である。袖を振るのは別れや愛情を示すしぐさであった。「ば」は未然形に付いて仮定を表す。
 二句「見ゆべき限り」は、見えるはずの範囲に、の意である。「べき」は当然の助動詞「べし」の連体形である。
 三句「我れはあれど」は、私はいるけれど、の意である。「ど」は逆接の助詞である。六音の字余りの句である。
 四句「その松が枝に」は、その松の枝に、の意である。「が」は連体修飾の助詞で、前歌の松を受けている。
 結句「隠らひにけり」は、隠れてしまったことだ、の意である。「隠らふ」は隠れ続ける意で、「に」は完了の助動詞「ぬ」の連用形、「けり」は詠嘆を表し、見えなくなった後の寂しさを込めて結んでいる。

かくらふ:隠れ続ける、すっかり隠れる
まつがえ:松の枝
作者
柿本人麻呂歌集
出典
万葉集
前の歌
君来ずは形見にせむと我がふたり 植ゑし松の木君を待ち出でむ
次の歌
茅渟の海の浜辺の小松根深めて 我れ恋ひわたる人の子ゆゑに