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奈良山の小松が末のうれむぞは
我が思ふ妹に逢はずやみなむ

歌の意味
奈良山の小松の梢(うれ)ではないが、どうして、私の思う妹に逢わないままで終わってしまうことがあろうか。
鑑賞
巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2487

詞書は前の歌に続き「物に寄せて思ひを陳ぶ」
 奈良山の小松の梢を言い起こし、その「うれ」の音から「うれむぞ」を導いて、思う妹に逢わずに終わることなどあろうかと、逢おうとする強い決意を述べた歌である。逢えない不安を打ち消すように、反語の形で言い切っているところに、恋の思いの強さが表れている。
 詞書の「物に寄せて思ひを陳ぶ」に従い、奈良山の小松という身近な景物に寄せて心を述べた恋の歌である。前歌の第二千四百八十六首も茅渟の海の小松を詠んでおり、小松に寄せる歌が並べられている。
 作者は未詳であり、左注によれば柿本人麻呂歌集に出る歌である。人麻呂歌集には人麻呂自身の作と、人麻呂が書き留めた他の人々の歌とが含まれるとされる。柿本人麻呂は持統朝から文武朝にかけて活躍した宮廷歌人で、三十六歌仙の一人である。

 初句「奈良山の」は、平城京の北に連なる丘陵である奈良山をいう。大和の人々にとって身近な山を歌い出している。
 二句「小松が末の」は、若い松の梢の、の意である。初句からこの句までが序詞で、「末(うれ)」の音を繰り返して三句の「うれむぞ」を導いている。
 三句「うれむぞは」は、どうして、いかにして、の意で、反語の意を表す語である。序詞から同音で導かれ、ここで歌の意味が転じる。
 四句「我が思ふ妹に」は、私が恋しく思う妹に、の意である。「妹」は男性が恋人を親しんで呼ぶ語である。
 結句「逢はずやみなむ」は、逢わないままで終わってしまうだろう、の意である。完了の助動詞「ぬ」の未然形「な」と推量の助動詞「む」が付き、三句の「うれむぞ」と呼応して、逢わずに終わることがあろうか、いや逢わずにはおかないという反語になっている。

うれ:草木の枝や葉の先端、こずえ
いも:男性が恋人や妻を親しんで呼ぶ語
作者
柿本人麻呂歌集
出典
万葉集
前の歌
茅渟の海の潮干の小松ねもころに 恋ひやわたらむ人の子ゆゑに
次の歌
礒の上に立てるむろの木ねもころに 何しか深め思ひそめけむ