思ひにしあまりにしかばにほ鳥の
なづさひ来しを人見けむかも
- 歌の意味
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思い続けて、思いがあふれてしまったので、にほ鳥のように水に浸かり難儀してやって来たのを、人が見ただろうか。
- 鑑賞
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巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2492
詞書は前の歌に続き「物に寄せて思ひを陳ぶ」
思いが募ってこらえきれなくなり、にほ鳥のように水に浸かって苦労しながら恋人のもとへ通って来たことを述べ、その姿を人に見られただろうかと案じた歌である。恋しさに突き動かされる激しさと、人目を気にする不安とが一首の中に同居している。
水に潜って泳ぐにほ鳥に寄せて、難儀しながら通う自らの姿を表している。前歌のをし鳥に続く水鳥の歌である。巻第十二にも「思ひにしあまりにしかば」と歌い起こす歌があり、思いのあふれるさまを言う定まった言い方であったことがうかがわれる。
作者は未詳であり、左注によれば柿本人麻呂歌集に出る歌である。人麻呂歌集には人麻呂自身の作と、人麻呂が書き留めた他の人々の歌とが含まれるとされる。柿本人麻呂は持統朝から文武朝にかけて活躍した宮廷歌人で、三十六歌仙の一人である。
初句「思ひにし」は、思い続けてしまった、の意である。動詞「思ふ」に完了の助動詞「ぬ」の連用形「に」と過去の助動詞「き」の連体形「し」が付いた形である。
二句「あまりにしかば」は、あふれてしまったので、の意である。「あまる」に「ぬ」の連用形「に」と「き」の已然形「しか」、接続助詞「ば」が付き、思いがこらえきれなくなったことを理由として示している。
三句「にほ鳥の」は、四句の「なづさふ」にかかる枕詞である。にほ鳥(かいつぶり)が水に潜って泳ぐことからかかる。
四句「なづさひ来しを」は、水に浸かり難儀しながらやって来たのを、の意である。「なづさふ」は水に浸かって漂う意から、苦労して進む意にも用いられる。
結句「人見けむかも」は、人が見ただろうか、の意である。過去推量の助動詞「けむ」に詠嘆を込めた疑問の「かも」が付き、人目を案じる気持ちで結んでいる。
にほどり:水鳥のかいつぶり
なづさふ:水に浸かって漂う、難儀しながら進む
- 作者
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柿本人麻呂歌集
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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妹に恋ひ寐ねぬ朝明にをし鳥の こゆかく渡る妹が使か
- 次の歌
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高山の嶺行くししの友を多み 袖振らず来ぬ忘ると思ふな