高山の嶺行くししの友を多み
袖振らず来ぬ忘ると思ふな
- 歌の意味
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高い山の峰を行く鹿のように連れが多いので、袖も振らずに来てしまった。だが、忘れたと思うな。
- 鑑賞
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巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2493
詞書は前の歌に続き「物に寄せて思ひを陳ぶ」
連れが多く人目があったために、別れ際に袖を振ることもできずに来てしまったが、決して忘れたのではないと恋人に言い送った歌である。群れをなして峰を行く獣の姿に、大勢の同行者に囲まれた自分を重ねている。
高山の峰を行く獣に寄せた歌で、鳥に寄せる歌に続いて獣が詠まれている。本巻の第二千四百八十五首にも「袖振らば見ゆべき限り」とあり、別れの合図としての袖振りを詠む点で通い合っている。
作者は未詳であり、左注によれば柿本人麻呂歌集に出る歌である。人麻呂歌集には人麻呂自身の作と、人麻呂が書き留めた他の人々の歌とが含まれるとされる。柿本人麻呂は持統朝から文武朝にかけて活躍した宮廷歌人で、三十六歌仙の一人である。
初句「高山の」は、高い山の、の意である。人里離れた険しい山の景を歌い出している。
二句「嶺行くししの」は、峰を行く獣のように、の意である。「しし」は鹿や猪などの獣をいう。初句からこの句までが序詞で、獣が群れをなして行くことから三句の「友を多み」を導いている。
三句「友を多み」は、連れが多いので、の意である。形容詞「多し」の語幹に接尾語「み」が付いた、いわゆるミ語法で理由を表している。
四句「袖振らず来ぬ」は、袖も振らずに来てしまった、の意である。袖を振るのは別れや思いを伝えるしぐさであり、それができなかった事情を述べている。ここで句切れとなる。
結句「忘ると思ふな」は、忘れたと思うな、の意である。「な」は禁止の終助詞で、相手に強く言い聞かせる形で結んでいる。
しし:鹿や猪などの獣
とも:連れ、同行の人々
- 作者
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柿本人麻呂歌集
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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思ひにしあまりにしかばにほ鳥の なづさひ来しを人見けむかも
- 次の歌
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大船に真楫しじ貫き漕ぐほとも ここだ恋ふるを年にあらばいかに