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大船に真楫しじ貫き漕ぐほとも
ここだ恋ふるを年にあらばいかに

歌の意味
大船に櫂をたくさん取り付けて漕ぐ、そのわずかな間でさえ、これほど恋しいのに、一年も逢えないとしたらどうなるだろう。
鑑賞
巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2494

詞書は前の歌に続き「物に寄せて思ひを陳ぶ」
 大船を漕ぐ一漕ぎほどのわずかな間でさえこれほど恋しいのだから、一年も逢えなかったらどうなってしまうだろうと、別れの恋しさを嘆いた歌である。ほんの一瞬と一年という時間の長さを対比させ、恋しさの大きさを際立たせている。
 船に寄せた歌で、船旅に出る人、または船出を見送る人の立場で詠まれたとみられる。短い時と長い時とを並べて思いの深さを言う発想は、万葉集の恋の歌に見られる表現の型の一つである。
 作者は未詳であり、左注によれば柿本人麻呂歌集に出る歌である。人麻呂歌集には人麻呂自身の作と、人麻呂が書き留めた他の人々の歌とが含まれるとされる。柿本人麻呂は持統朝から文武朝にかけて活躍した宮廷歌人で、三十六歌仙の一人である。

 初句「大船に」は、大きな船に、の意である。初句から三句にかけて、船出の情景を描いている。
 二句「真楫しじ貫き」は、櫂を船の両舷にびっしりと取り付けて、の意である。「真楫」は船の左右の櫂、「しじ貫く」は数多く取り付けることをいい、万葉集に多い船出の慣用句である。
 三句「漕ぐほとも」は、漕ぐわずかの間でさえも、の意である。「ほと」は時間の程度をいい、「も」がそれほど短い間でさえ、という意を強めている。
 四句「ここだ恋ふるを」は、これほどにも恋しく思うのに、の意である。「ここだ」は程度のはなはだしいことをいい、「を」は逆接の意で結句につないでいる。
 結句「年にあらばいかに」は、一年であったらどうであろう、の意である。九音の字余りの句で、「いかに」で言いさして、その先の思いを相手に委ねるように結んでいる。

まかぢ:船の左右両舷にそろった櫂
しじぬく:櫂などを数多く取り付ける
作者
柿本人麻呂歌集
出典
万葉集
前の歌
高山の嶺行くししの友を多み 袖振らず来ぬ忘ると思ふな
次の歌
たらつねの母が養ふ蚕の繭隠り 隠れる妹を見むよしもがも